市職員のおどおどした行政事務遂行姿勢は、現首長堀元から出た身の錆である。
我が市政体制下で官民一体となって教育ルネッサンスを全国に向かって遂行すべき機は、完全に熟した。躊躇することなかれ!
市の首長江南市長は、この市の存続の為兎に角市外から金をこの街へ持ち帰って欲しいの一念、嘗て外部から金を持ち帰る事が一切無かった身上の現市長堀元でも然り、誰が市長になっても同じ願いだ。
人間金は確かに大切だが、拝金主義者とか守銭奴は世間のダニ害となる。医師は人の命のを救う為との建前ではあると誰もが言うが、実際は高収入が得られるから学力優秀な高校生金持ち子弟は医学校へ進む傾向がある。ロシアでは医師は圧倒的多数で女性が占めるのは個人経営医院が認めれていないからだ。最も学力優秀な学生は、工学部へ進学する傾向にある。我が日本でもそもそも私立大学の医学部へは、中学時代普通の成績の凡人でも多額な入学金、授業料を親が支払えば進学でき且つ医師免許を手中に出来る。
日本社会は堕落している、金が物をいう社会へ成り下っているとは言うものの、例えば親から授かった優秀な知能、高校時代の卓越した学力を駆使して医師免許を得て、しかもその後自己の経済力の為に重きを置いて、ちなみに個人医院経営主とか総合病院の一介の医師として渡世する一群の医師の輩は、学会に列席しても何の影響力発言権も与えられない、謂わば借りてきた猫の様にただ座って黙って参加するだけの取るに足らない人材に終始するのである。医師でも千差万別で、自己の経済力強化の他に注目して、大学研究室や研究所で相応の給料で研究に従事挑む者、グループが、医学界をリードするのが常である。この狭い島国もまんざら捨てたものでない。
要するに、個人医院を経営する医師や総合病院の医師では、如何に日本社会、日本医師学会がいい加減であるとは言うものの各の医学専門の分科分野の学会では問題にされないのである。
しかし、こんな思考経路は、財政力豊かな大都市名古屋、大阪、東京にすむ住民がとるべきもので、我が江南市の如き県下屈指の貧困財政都市に住む住民は、どんな形でもよい、なりふり構わず違法で無い限り市外から金を集める一群を擁護し大切にすべきは多言を要さない。
我輩に言わせればそれ以上に、日本屈指の優良企業トヨタ等を育んだ大扇状地濃尾平野は、木曾川が何十万何百万年の何しろ長き年月を要して造り上げた神からの所産である事を現代の名古屋人初め三河沿海岸人はすっかり忘れている様である。現代社会に住む後進の我々に与えられた最大の使命は、この神からのプレゼント大扇状地濃尾平野を如何にしたら最大限に有効に使うかである。中高一貫校は、海と山の狭間にこっそり立てても善意に満ちた圧倒的多数を占める愛知県民には厚かましい限りだ。
次回から英国の機関に英文投稿を再開するだろうがウェブサイトに我が文書が何時登場するのか分らない。登場しないかもしれない。4-5年はかかるかも知れない。
シャープザウルスが故障から完治されて帰宅したので、英文投稿書作成の時が完全に来た。之が最後の和文ブログになるかもしれない。
日々の積み重ねこそ良きにつけ悪しきにつけ大きな結果をもたらす。毎日市営のジム通いを続けている我輩である。来年8月には江南駅にエレベーターが完成し名古屋へ行くのに楽になる。其れまでにエア自転車の抵抗指数を何とか50ワットまでに引き上げておきたい。名古屋のジムは、わが市と違って、入場料無料の得点ばかりでなく、「器具の種類が何十倍も」多く設置されているので、全身に隈なく必要とされる筋肉、足腰の筋肉が我が体につく速さは、自然と比べ物にならない程早いという素晴らしい恩恵に浴することが出来るからだ。
「顔より姿、姿より心」が人類には要される。しかし現実の日本では、誤って「姿より顔」が重要視されている。改心しなければならない。
さて本題に入る。西洋の有名な諺に「顔より姿、姿より心、人類の豊かな心に勝るものは無い」がある。
そこで本題課題に位置づけて、この「美貌より美しい体型」について、今回は考察いたしたい。
この国日本では国民も指導者も未だこの初歩的な理念「美貌よりバランスのとれた美しい体型」が理解され浸透していないようだ。
人類も動物の一種。犬の世界では美貌ハンサム犬種としてシェパード、ぞんざいな対応をすれば後で末永く怨念を抱く恐れがある優雅で上品な犬種コリー、ボルゾイイ等、骨太の頑健な体型の犬種エアーデルテリア、精悍な容姿のドーベルマン、ボクサーがある。
姿は顔よりも人柄を表す
正に骨太で頑健な体型のエアデールテリアが我が国では余りにも低く評価されている
自他とも認める世界の名犬として長く君臨する我が飼育歴が長かったシェパードは面目躍如たるものがあり問題はないが、決してハンサム犬とはいえないエアデールテリアの評価が我が国では余りにも低いではないのか?顔も足も長毛の体毛で被われたこの犬種は到底美顔とはいえないが、正に骨太で頑健な体型でダンプカーを彷彿とさせ連想させる。ぬいぐるみを造るのに、最も造りやすい犬種である。気性は辞典では「気が強い」と記されているが、「気が強い」といったものではなく、吠える迫力は物凄く、飼い主からする頼りがいの程度強さは、シェパードやドーベルマンと全く同じランクだ。体型は遥かにシェパードやドーベルマンよりもがっしりしていて頑丈である。
国、自治体はヘルパーの給料アップに真剣に取り組むべきである。このままではヘルパーの質は低下し男子ヘルパー数が減少する危機に瀕する事確かだ
Oさんがいなくなって初めて久しぶりに市役所へ8月17日に赴いた。
ヘルパーは障害者にとって必須の女神だ。国、自治体はもっとヘルパー従事者の給料アップに真剣に取り組むべきが最大の急務課題である。現状下では障害者と現場で対面するペルパー従事者の質が一向に向上しないであろう。いや男子のヘルパーの数及び質は減少し下降する懸念がしてならない。事務所で能書きを言う方よりも我々障害者にとっては、実際に家庭訪問してくれる現場のヘルパーに頼る所大である。
尚、勿論教育委員会へ行く予定であったが、同じ学区の友人と鉢合わせになり一回ロビーで其の儘長話をして二階の教育委員会へは行かなった。彼の弟さんは我が母校と同じ高校から名大、名工大へ進学された関係もあって親しい知己関係である。
多くの市職員さんが目の辺りを引っ切り無しに歩いて右往左往と移動される。
我輩は良く近くの総合病院へも行く。従って、そこでは看護婦さん、事務員さん、お医者さん、技師さん特に多くのお医者さんの姿をよく見かける。
男女を問わず殆どの市職員さんの体型は、誠実そうであるが痩せて細い。まるでホイペットの様である。ホイペットならぬかも鹿の様な細身の方々ばかりである。願わくば、ドーベルマンであってほしいと願うばかりだ。
一方総合病院のお医者さんの体型は、色々である。中には多く180CM以上の長身でむしろスポーツ選手向き、投手向きの体型の方あり、背は高くないががっちり型でグレコローマンのレスラー向きであったり好打者向きの体型あり、肥満型でこの方お相撲さんの様で壮年には脳溢血になるのではないかと危惧される体型あり、痩せて細身の方あり、、、、である。要するに細い体型一辺倒の市職員さんの体型とは全く一目瞭然にして違う。期せずして学問スポーツの模範であった戦前の愛知一中の先人達を彷彿とさせる。
「文は人なり」は高山樗牛の名言だが、「姿体型は人なり」そのものと我は信じて止まない。
この両者の違いは、自己の能力に於いて極限迄能力発揮に挑んだ体験を有する者と安全第一で自己の能力内に於いて無難に渡世して来た者との違いである。どちらの生き様もいいのではないかと思う。
我輩も晩年の職タクシー時代にも、若かれし時代の細身と違って見るからにがっちり体型であった。実際、極稀ではあったが最初から因縁を付ける気で乗ったお客さんとは口論ばかりか取っ組み合いの喧嘩もした。深夜世間の皆さんは熟睡の時間帯であるばかりか辺り一面家がまばらな所でもお客さんを乗せ降ろすこともあるので、喧嘩をしたら絶対に相手に勝たねばならない立場にある。逆車中の口論で、因縁をつけてきた若者の方が怯えた事さえ度々あった。
万が一のとっさに備えてドライバーは保身具を常備しているものだ。
とあるNHKのエセキャスターが罪なきタクシー運転手さんに暴力を振るって大問題になった事件があったが、何一つ抵抗しなかった当運転手も情けない。何が「その時歴史は動いた」である。だからタクシードライバーはリストラの吹き溜まりだと世間で軽んぜられて馬鹿にされる。何時ももし生意気なテレビ関係者が私に因縁をつけてきたら誰でも「問答無用!叩きのめす」意気込みで何時も乗務し続けていた。今の我輩には想像できない欠けた機能無き体力、「頑健な体型」を常備していた。
男女を問わず自己正当防衛、自尊心こそが人間には常に必須とされる。
美貌のシェパードだけが犬で無い。お世辞にもハンサム犬とはいえない大英帝国原産のエアデールテリアもまた世界に通用する面目躍如たる名使役犬である。最近の我が邦のトップ政治指導者の面々を見ると余りにもハンサム男という顔だけに拘泥している懸念がして止まない。
市職員のおどおどした行政遂行姿勢は、覇気無き元首長堀元から出た身の錆である
我が市政体制下で教育ルネッサンスを全国に向かって発信し、市民とともに市職員、市議が官民一体となって遂行すべき機は、完全に熟した。立ち上がろう!
処で市職員のやせ衰えた姿、誠実そうではあるが何かおどおどした自信にかける挙動を見るに付け、その責任の一端は覇気なき首長堀元にあることだけは確かだ。一朝一夕に市職員の体型を変えることは不能だが、もっと自信に満ちた威風堂々たる市民との体面姿勢は直に育むことが出来る。
温室や無風の狭い屋内の植木鉢からは,確かに事故「枯れる木は生まれなうが」は起きないがさりとて反面決して広い世間日本社会で通用する大木、名木は生まれない。堀元体制下で無為徒食の時間を便々と送るより我輩市政体制下で教育ルネッサンスの一翼を全国に向かって発信し市民と共に市職員、市議が官民一体となって遂行する、かくして人生一度ぐらいは広い荒野に出て自己能力の限界に挑むのは決して無駄誤りではない。改革への機は完全に熟し切っている。立ち上がる時期はとっくの昔に到来した。之こそ世の為人の為に資する確実にして最短道、直線道だ。
雄弁家とは決して心無き実が無い多弁を弄する事とは同意義ではない
雄弁と多弁は全く違う。戦後の政治屋には大学の弁論部経由者が多いが、心無き多弁に雄弁は何処を探しても見出せない。噺家、漫才師やアナウンサーと同列である。
かつてこの選挙区選出の議員も元総理海部俊樹に見るが如く無知蒙昧の世間では、雄弁家として大衆迎合された。基礎学力に欠ける人間性に欠ける人物の言葉には心、実が無い。
要するに、そもそもこんな輩は、自己の受ける収入と社会に対する貢献度とのバランスについて熟慮する思考力そのものが無いのである。親もまたその程度であったに違いない。我が大阪時代には何時も激しくこんな思いを抱き自問、苦悩且つ葛藤し続けた我輩であった。
未だ間接的にさえ憲政の神様尾崎行雄翁の演説を拝聴した経験が無い我輩であるので断言できないが、伝聞した所によると彼の演説は、聴衆を説得せんが為に口調は絶叫調であったという。きっと心と実のある名演説の連続であったろうと確信して止まない。この様な類の演説をこなす者こそ本当の雄弁家と断言でき定義づける事ができる。
翁のご子息、お孫さん達は超有力国立大学卒業者が多いが誰も政治家になっていない。政治家もまた真に自己の良心と信念に基づき行動すれば、大変な重荷重責を負い、到底生計上採算に合わない職であろうからである。翁ご自身も当時東京帝大、京都帝大が既に存していたならば、こんな大学へ進まれていた事だろう。
我が邦の政治屋諸氏の大勢は、精神が分裂している。政策に一貫性が欠ける。よって民主党が政権を執ろうが当てにならなく、教育改革は、勤勉で正直な民衆による「小中一貫教育全国協議会」に基調を置くべきである。
たとえ欧米民主主義群並に、どんぶり勘定によって再編成し社会の最下層民から成る純国粋主義政党公明党に支えられて辛うじて政権を荷ってきた永年一党独裁党であり続けた自民党が野に下り、二大政党間で近々政権交代がなされ民主党が政権を執ろうが、守銭奴拝金主義者からなる我が邦の政党体質自体は、一朝一夕には変わりそうはなく以って政策に一貫性がなく精神が分裂している憂うべき政情は今後も続くであろう。
1999年小渕内閣時に政権維持の目的のみによって、「公明党」とどんぶり勘定で連立内閣を樹立して以来というものは、自民党及び所属議員の質がとみに低下し始めた。カルト集団に洗礼マインドコントロールされ切っている烏合の衆から選出された公明党議員と共産党議員は、決して同列、平等に看做されるべきではない。ただでさえ集団でしか行動できない欠点を持つ我々日本人の永年の懸案事項として、公務員との土木建設業者の癒着、詰り談合事件が後を絶たない時世に於いて、カルト集団に立脚した政党の進出は之と全く同質であるまじき政情の姿である。
小泉内閣が新設した首相官邸に常設した「小中一貫校特区」申請機関、安倍内閣が新設した内閣諮問機関「教育再生会議」、これ等二つは同じ党内選出内閣ではあるが全く別の機関である。
いわんや民主党政権が登場したならば、またまた別の処に別の教育改革機関を新たに設けるであろうことだけは確かだ。何故一つの機関を一貫して脈々と歴代内閣は育み発展させようとしないのか?
これは我が邦の政治屋が保身第一で、苦悩し生死をさまよう国民の身辺立場、国益とか国民各自の幸せ追求には二の次の次である事、全く精神が分裂している証拠の他の何物でもない。
私達国民の大半をなす正直者はこの教育改革遂行に臨み多くを期待できない。否全く当てにならない。当てにしたらとんでもないことになる!
広い国土豊かな資源に祝福された米の永年我が家の住民となっているCNNの皆さん!見るからに頼もしい骨太な体型である世界の名犬エアデールテリアの母国、教科書的教育制度を堅持する英のBBCの皆さん!国民の圧倒的多数を占める正直で勤勉で気品に満ちた「公立高経由、戦後の負け組」の皆さん!頼りになるのは「小中一貫教育全国協議会」だけ!ここに何時でも集合しよう!仲間を増やそう!
転載、引用等一切の借用を禁ず
小澤成次
我が市政体制下で官民一体となって教育ルネッサンスを全国に向かって遂行すべき機は、完全に熟した。躊躇することなかれ!
市の首長江南市長は、この市の存続の為兎に角市外から金をこの街へ持ち帰って欲しいの一念、嘗て外部から金を持ち帰る事が一切無かった身上の現市長堀元でも然り、誰が市長になっても同じ願いだ。
人間金は確かに大切だが、拝金主義者とか守銭奴は世間のダニ害となる。医師は人の命のを救う為との建前ではあると誰もが言うが、実際は高収入が得られるから学力優秀な高校生金持ち子弟は医学校へ進む傾向がある。ロシアでは医師は圧倒的多数で女性が占めるのは個人経営医院が認めれていないからだ。最も学力優秀な学生は、工学部へ進学する傾向にある。我が日本でもそもそも私立大学の医学部へは、中学時代普通の成績の凡人でも多額な入学金、授業料を親が支払えば進学でき且つ医師免許を手中に出来る。
日本社会は堕落している、金が物をいう社会へ成り下っているとは言うものの、例えば親から授かった優秀な知能、高校時代の卓越した学力を駆使して医師免許を得て、しかもその後自己の経済力の為に重きを置いて、ちなみに個人医院経営主とか総合病院の一介の医師として渡世する一群の医師の輩は、学会に列席しても何の影響力発言権も与えられない、謂わば借りてきた猫の様にただ座って黙って参加するだけの取るに足らない人材に終始するのである。医師でも千差万別で、自己の経済力強化の他に注目して、大学研究室や研究所で相応の給料で研究に従事挑む者、グループが、医学界をリードするのが常である。この狭い島国もまんざら捨てたものでない。
要するに、個人医院を経営する医師や総合病院の医師では、如何に日本社会、日本医師学会がいい加減であるとは言うものの各の医学専門の分科分野の学会では問題にされないのである。
しかし、こんな思考経路は、財政力豊かな大都市名古屋、大阪、東京にすむ住民がとるべきもので、我が江南市の如き県下屈指の貧困財政都市に住む住民は、どんな形でもよい、なりふり構わず違法で無い限り市外から金を集める一群を擁護し大切にすべきは多言を要さない。
我輩に言わせればそれ以上に、日本屈指の優良企業トヨタ等を育んだ大扇状地濃尾平野は、木曾川が何十万何百万年の何しろ長き年月を要して造り上げた神からの所産である事を現代の名古屋人初め三河沿海岸人はすっかり忘れている様である。現代社会に住む後進の我々に与えられた最大の使命は、この神からのプレゼント大扇状地濃尾平野を如何にしたら最大限に有効に使うかである。中高一貫校は、海と山の狭間にこっそり立てても善意に満ちた圧倒的多数を占める愛知県民には厚かましい限りだ。
次回から英国の機関に英文投稿を再開するだろうがウェブサイトに我が文書が何時登場するのか分らない。登場しないかもしれない。4-5年はかかるかも知れない。
シャープザウルスが故障から完治されて帰宅したので、英文投稿書作成の時が完全に来た。之が最後の和文ブログになるかもしれない。
日々の積み重ねこそ良きにつけ悪しきにつけ大きな結果をもたらす。毎日市営のジム通いを続けている我輩である。来年8月には江南駅にエレベーターが完成し名古屋へ行くのに楽になる。其れまでにエア自転車の抵抗指数を何とか50ワットまでに引き上げておきたい。名古屋のジムは、わが市と違って、入場料無料の得点ばかりでなく、「器具の種類が何十倍も」多く設置されているので、全身に隈なく必要とされる筋肉、足腰の筋肉が我が体につく速さは、自然と比べ物にならない程早いという素晴らしい恩恵に浴することが出来るからだ。
「顔より姿、姿より心」が人類には要される。しかし現実の日本では、誤って「姿より顔」が重要視されている。改心しなければならない。
さて本題に入る。西洋の有名な諺に「顔より姿、姿より心、人類の豊かな心に勝るものは無い」がある。
そこで本題課題に位置づけて、この「美貌より美しい体型」について、今回は考察いたしたい。
この国日本では国民も指導者も未だこの初歩的な理念「美貌よりバランスのとれた美しい体型」が理解され浸透していないようだ。
人類も動物の一種。犬の世界では美貌ハンサム犬種としてシェパード、ぞんざいな対応をすれば後で末永く怨念を抱く恐れがある優雅で上品な犬種コリー、ボルゾイイ等、骨太の頑健な体型の犬種エアーデルテリア、精悍な容姿のドーベルマン、ボクサーがある。
姿は顔よりも人柄を表す
正に骨太で頑健な体型のエアデールテリアが我が国では余りにも低く評価されている
自他とも認める世界の名犬として長く君臨する我が飼育歴が長かったシェパードは面目躍如たるものがあり問題はないが、決してハンサム犬とはいえないエアデールテリアの評価が我が国では余りにも低いではないのか?顔も足も長毛の体毛で被われたこの犬種は到底美顔とはいえないが、正に骨太で頑健な体型でダンプカーを彷彿とさせ連想させる。ぬいぐるみを造るのに、最も造りやすい犬種である。気性は辞典では「気が強い」と記されているが、「気が強い」といったものではなく、吠える迫力は物凄く、飼い主からする頼りがいの程度強さは、シェパードやドーベルマンと全く同じランクだ。体型は遥かにシェパードやドーベルマンよりもがっしりしていて頑丈である。
国、自治体はヘルパーの給料アップに真剣に取り組むべきである。このままではヘルパーの質は低下し男子ヘルパー数が減少する危機に瀕する事確かだ
Oさんがいなくなって初めて久しぶりに市役所へ8月17日に赴いた。
ヘルパーは障害者にとって必須の女神だ。国、自治体はもっとヘルパー従事者の給料アップに真剣に取り組むべきが最大の急務課題である。現状下では障害者と現場で対面するペルパー従事者の質が一向に向上しないであろう。いや男子のヘルパーの数及び質は減少し下降する懸念がしてならない。事務所で能書きを言う方よりも我々障害者にとっては、実際に家庭訪問してくれる現場のヘルパーに頼る所大である。
尚、勿論教育委員会へ行く予定であったが、同じ学区の友人と鉢合わせになり一回ロビーで其の儘長話をして二階の教育委員会へは行かなった。彼の弟さんは我が母校と同じ高校から名大、名工大へ進学された関係もあって親しい知己関係である。
多くの市職員さんが目の辺りを引っ切り無しに歩いて右往左往と移動される。
我輩は良く近くの総合病院へも行く。従って、そこでは看護婦さん、事務員さん、お医者さん、技師さん特に多くのお医者さんの姿をよく見かける。
男女を問わず殆どの市職員さんの体型は、誠実そうであるが痩せて細い。まるでホイペットの様である。ホイペットならぬかも鹿の様な細身の方々ばかりである。願わくば、ドーベルマンであってほしいと願うばかりだ。
一方総合病院のお医者さんの体型は、色々である。中には多く180CM以上の長身でむしろスポーツ選手向き、投手向きの体型の方あり、背は高くないががっちり型でグレコローマンのレスラー向きであったり好打者向きの体型あり、肥満型でこの方お相撲さんの様で壮年には脳溢血になるのではないかと危惧される体型あり、痩せて細身の方あり、、、、である。要するに細い体型一辺倒の市職員さんの体型とは全く一目瞭然にして違う。期せずして学問スポーツの模範であった戦前の愛知一中の先人達を彷彿とさせる。
「文は人なり」は高山樗牛の名言だが、「姿体型は人なり」そのものと我は信じて止まない。
この両者の違いは、自己の能力に於いて極限迄能力発揮に挑んだ体験を有する者と安全第一で自己の能力内に於いて無難に渡世して来た者との違いである。どちらの生き様もいいのではないかと思う。
我輩も晩年の職タクシー時代にも、若かれし時代の細身と違って見るからにがっちり体型であった。実際、極稀ではあったが最初から因縁を付ける気で乗ったお客さんとは口論ばかりか取っ組み合いの喧嘩もした。深夜世間の皆さんは熟睡の時間帯であるばかりか辺り一面家がまばらな所でもお客さんを乗せ降ろすこともあるので、喧嘩をしたら絶対に相手に勝たねばならない立場にある。逆車中の口論で、因縁をつけてきた若者の方が怯えた事さえ度々あった。
万が一のとっさに備えてドライバーは保身具を常備しているものだ。
とあるNHKのエセキャスターが罪なきタクシー運転手さんに暴力を振るって大問題になった事件があったが、何一つ抵抗しなかった当運転手も情けない。何が「その時歴史は動いた」である。だからタクシードライバーはリストラの吹き溜まりだと世間で軽んぜられて馬鹿にされる。何時ももし生意気なテレビ関係者が私に因縁をつけてきたら誰でも「問答無用!叩きのめす」意気込みで何時も乗務し続けていた。今の我輩には想像できない欠けた機能無き体力、「頑健な体型」を常備していた。
男女を問わず自己正当防衛、自尊心こそが人間には常に必須とされる。
美貌のシェパードだけが犬で無い。お世辞にもハンサム犬とはいえない大英帝国原産のエアデールテリアもまた世界に通用する面目躍如たる名使役犬である。最近の我が邦のトップ政治指導者の面々を見ると余りにもハンサム男という顔だけに拘泥している懸念がして止まない。
市職員のおどおどした行政遂行姿勢は、覇気無き元首長堀元から出た身の錆である
我が市政体制下で教育ルネッサンスを全国に向かって発信し、市民とともに市職員、市議が官民一体となって遂行すべき機は、完全に熟した。立ち上がろう!
処で市職員のやせ衰えた姿、誠実そうではあるが何かおどおどした自信にかける挙動を見るに付け、その責任の一端は覇気なき首長堀元にあることだけは確かだ。一朝一夕に市職員の体型を変えることは不能だが、もっと自信に満ちた威風堂々たる市民との体面姿勢は直に育むことが出来る。
温室や無風の狭い屋内の植木鉢からは,確かに事故「枯れる木は生まれなうが」は起きないがさりとて反面決して広い世間日本社会で通用する大木、名木は生まれない。堀元体制下で無為徒食の時間を便々と送るより我輩市政体制下で教育ルネッサンスの一翼を全国に向かって発信し市民と共に市職員、市議が官民一体となって遂行する、かくして人生一度ぐらいは広い荒野に出て自己能力の限界に挑むのは決して無駄誤りではない。改革への機は完全に熟し切っている。立ち上がる時期はとっくの昔に到来した。之こそ世の為人の為に資する確実にして最短道、直線道だ。
雄弁家とは決して心無き実が無い多弁を弄する事とは同意義ではない
雄弁と多弁は全く違う。戦後の政治屋には大学の弁論部経由者が多いが、心無き多弁に雄弁は何処を探しても見出せない。噺家、漫才師やアナウンサーと同列である。
かつてこの選挙区選出の議員も元総理海部俊樹に見るが如く無知蒙昧の世間では、雄弁家として大衆迎合された。基礎学力に欠ける人間性に欠ける人物の言葉には心、実が無い。
要するに、そもそもこんな輩は、自己の受ける収入と社会に対する貢献度とのバランスについて熟慮する思考力そのものが無いのである。親もまたその程度であったに違いない。我が大阪時代には何時も激しくこんな思いを抱き自問、苦悩且つ葛藤し続けた我輩であった。
未だ間接的にさえ憲政の神様尾崎行雄翁の演説を拝聴した経験が無い我輩であるので断言できないが、伝聞した所によると彼の演説は、聴衆を説得せんが為に口調は絶叫調であったという。きっと心と実のある名演説の連続であったろうと確信して止まない。この様な類の演説をこなす者こそ本当の雄弁家と断言でき定義づける事ができる。
翁のご子息、お孫さん達は超有力国立大学卒業者が多いが誰も政治家になっていない。政治家もまた真に自己の良心と信念に基づき行動すれば、大変な重荷重責を負い、到底生計上採算に合わない職であろうからである。翁ご自身も当時東京帝大、京都帝大が既に存していたならば、こんな大学へ進まれていた事だろう。
我が邦の政治屋諸氏の大勢は、精神が分裂している。政策に一貫性が欠ける。よって民主党が政権を執ろうが当てにならなく、教育改革は、勤勉で正直な民衆による「小中一貫教育全国協議会」に基調を置くべきである。
たとえ欧米民主主義群並に、どんぶり勘定によって再編成し社会の最下層民から成る純国粋主義政党公明党に支えられて辛うじて政権を荷ってきた永年一党独裁党であり続けた自民党が野に下り、二大政党間で近々政権交代がなされ民主党が政権を執ろうが、守銭奴拝金主義者からなる我が邦の政党体質自体は、一朝一夕には変わりそうはなく以って政策に一貫性がなく精神が分裂している憂うべき政情は今後も続くであろう。
1999年小渕内閣時に政権維持の目的のみによって、「公明党」とどんぶり勘定で連立内閣を樹立して以来というものは、自民党及び所属議員の質がとみに低下し始めた。カルト集団に洗礼マインドコントロールされ切っている烏合の衆から選出された公明党議員と共産党議員は、決して同列、平等に看做されるべきではない。ただでさえ集団でしか行動できない欠点を持つ我々日本人の永年の懸案事項として、公務員との土木建設業者の癒着、詰り談合事件が後を絶たない時世に於いて、カルト集団に立脚した政党の進出は之と全く同質であるまじき政情の姿である。
小泉内閣が新設した首相官邸に常設した「小中一貫校特区」申請機関、安倍内閣が新設した内閣諮問機関「教育再生会議」、これ等二つは同じ党内選出内閣ではあるが全く別の機関である。
いわんや民主党政権が登場したならば、またまた別の処に別の教育改革機関を新たに設けるであろうことだけは確かだ。何故一つの機関を一貫して脈々と歴代内閣は育み発展させようとしないのか?
これは我が邦の政治屋が保身第一で、苦悩し生死をさまよう国民の身辺立場、国益とか国民各自の幸せ追求には二の次の次である事、全く精神が分裂している証拠の他の何物でもない。
私達国民の大半をなす正直者はこの教育改革遂行に臨み多くを期待できない。否全く当てにならない。当てにしたらとんでもないことになる!
広い国土豊かな資源に祝福された米の永年我が家の住民となっているCNNの皆さん!見るからに頼もしい骨太な体型である世界の名犬エアデールテリアの母国、教科書的教育制度を堅持する英のBBCの皆さん!国民の圧倒的多数を占める正直で勤勉で気品に満ちた「公立高経由、戦後の負け組」の皆さん!頼りになるのは「小中一貫教育全国協議会」だけ!ここに何時でも集合しよう!仲間を増やそう!
転載、引用等一切の借用を禁ず
小澤成次