江南市長 堀元さんへ
2006,8、14
小澤成次
記
教育改革と銘打って、この美名の下に、「小人数学級」や「特定な教科書、参考書選び」の駄策を行うよりも、涼しい喫茶店で美味しいアイスコーヒーを呑みつつ、のんびりと新聞や週刊誌を読んでいた方が遥かに有意義な過ごし方である。
始めまして、小澤成次と申します。堀市長さんに是非ともお会いしたくて、ここにイーメイルをお送りいたす次第です。
ご承知のように、内閣府に於いて、構造改革の一環として、「小中一貫校特区」室が常設され、応募を大歓迎しています。
全国津々浦々で、日々益々多くの地方公共団体が、この特区に申請しつつあります。参加数は、目覚しく増えつつあります。
敗戦により、GHQから押付けられた、1997年に始まった633制は59年の月日が経ち、益々多くの歪んだ弊害を日々学んでいる子供達に惹起しております。延いては社会問題にまで波及しています。
戦前の日本やヨーロッパ諸国やアメリカやカナダの多くの州の様に、93制を公立学校に採用しようとする努力が、長年にわたり展開されてきました。
そこで、つい最近に至って、賢く正直な国民の底力から義務教育年限である小学校と中学校を同じ敷地に置いて、勉学やスポーツに専念させようとする試みが、具現化してまいりました。
之が、上記の政府及び文部科学省が推し進める、「小中一貫校特区」に関わる募集の趣旨狙いです。
官民一体が織り成す素晴らしいプロセスです。
40年以上の長年にわたる教育制度改革論者の私は、3-4月頃から毎週一日は必ず本市の市役所二回にある教育委員会の学校教育課へ赴き、可及的速やかに、この「小中一貫校特区」へ申請するように催促し続けている最中です。足が悪くなり歩くにも、精一杯の私ですが、何度も休憩しながら1時間半以上かけて昨今の猛暑にも負けずに本庁へ赴いている有様です。
既に、関係職員殿各位には、例えば滝教育長、岩田課長、野村課長補佐を始めとする皆さんには何度もお会いして、この93制について、融和を身上として意見交換を重ねてまいりました。残念至極ながら、私の意とする道筋は決して未だ確立しておりませんが、我が体力の続く限り、我が意が果たされるその日まで、不断の努力を払い続ける強い決意です。本市の関係各位殿に働き続ける決意を強く持っております。
他方、県内の三河地方の代表都市である豊橋市に於いては、マスコミが報じる下であまねく周知の如くに、教育委員会と市議会が完全に一体となって、この9年制への挑戦が活発に行われ続けられています。これは貴殿もご承知の通りであります。
ところで、無学で未熟な帝国陸軍や大分、佐賀、岩手等の所謂地方の貧乏県生まれで当時の東京帝大法学部の卒業者達「自身の幸せと出世を維持しようとする保守のためにのみ、政治信念を捨てて東京に便々と固執する」によって、打算なき戦火へと猪突盲進し続けて、結果敗戦宣言をも長年にわたり大幅に遅延させて、言語に絶する莫大な人的物的損失をもたらしたことは、貴殿も十分にご承知の処です。
一例を上げれば、我が国は、広大な領土を失い、教育制度までも先進文明諸国には一国、一例も見ない、極悪な制度へと強要採用させられて、以後戦後60年以上経つ今日までも依然として、世界に類を見ない未熟さで、この殻から抜け出すことが出来ないままの惨めな実状であります。現場の児童、学徒は日々大きな犠牲を強いられています。
しかし、戦後の教育改革への挑戦は、可也歴史が古くて、一例を挙げれば当選挙区選出の海部俊樹が、福田内閣下で1976年に、続いて中曽根内閣下で1985年に各々文部大臣に任命されて、この任に当たりましたが、周知の如くに成果は全くの皆無であった結末でした。
又、本市の隣接市である、犬山市の市長石田芳弘が、就任前から国の「教育改革、中央教育有識者審議会」のメンバーとして席を置き、市長就任後には教育改革と銘打って、「小人数学級」を推進していること、併せて実はこの学校行政に於ける施策が真の教育改革へのプラスどころか大変大きなマイナス、障害になってきていることも少し思い巡らせれば、明らかになってきて、賢明な貴殿ならば十分に納得の行く処です。
これら二氏が悉く実績ゼロに帰している理由は、共通して学生時代に「弁論部」に在籍していて、誠意なき雄弁家にすぎない人物、口先だけの政策を実行するには不適切な人柄であった点です。
端的にいえば、言語明瞭、意味不明瞭が共通点であります。
前者は後に内閣総理大臣に昇格したが、国民の先頭に立ちあるべき教育論を実行するに際しての資質、資格が欠けており、戦前のこの地から内閣総理大臣に昇格した、東京帝大法学部を一番で卒業した、お化けのような鬼才の加藤高明とは雲泥の差の、中味は雑な器であったことにも明らかでした。
この貧弱で雑な器の程度は、決してさほど難解でなかった当時の旧制愛知一中への試験さえも落第した事実からも垣間見ることが出来ます。裏づけられます。
又、後者は、戦後の国土が焦土と化していた極悪な風土、国民各自が日々の生計を立てるのに精一杯であったドサクサ紛れの期に、新潟の片田舎から立身出世を遂げんと、議員となったあの悪名高い「金権政治」の代名詞であった田中角栄の流れを汲んでいる人物であります。
従ってそもそも「心の豊かさ」を求めて、教育制度改革に取り組むべきには、適切にして、相応な人物とは到底いい難い、言わば「政治屋さん」と言えます。アメリカと北朝鮮との対面に見るが如くに、そんな彼らとまともに対面して相手になっている者の方が、むしろ明らかに左巻きのおつむそのものと看做されます。
この様な人物には、同じ視点で見るからこそ、激しい憤りが頻繁に起こるのであって、人種が違う、大阪でよく言う「部落民」として看做すという、詰まり決して同じ視点からものごとを見ないという姿勢が大切なのです。
犬山ッ子もやがては、年を重ねて16-18歳へと成長し、江南高校とか犬山高校とか西春高校へと進学します。その際、犬山市内の中学校を卒業した彼等、彼女等が、「かつて小人数学級」で学んだが故に、他校出身者よりも優秀であるという事態は、100パーセント起こりません。
これは、破れかぶれの意見で決して広くに公表するには芳しくはありませんが、又私自身大嫌いなのですが、遥かに中高一貫教育の「滝校さん、野球等のスポーツも優秀な春日丘さん」や戦前の学習院や武蔵の様に小中高一貫校の「神奈川桐蔭学園さん」で学ぶ生徒の方が、学問もスポーツも比肩の内にない程に遥かに優秀であろうことは、多言を要しません。
この犬山行政とは正反対に、豊橋市を始めとして、西尾市、一色町、阿久比町等の三河地方の多くの市町村や川向こうの岐阜県となるがここから地理的に近い大垣市では、教育委員会と市長を先頭とする市議会が強く結束して、一致協力して、内閣府と文部科学省の薦める「小中一貫校特区」にいち早く申請、参画して、不断の努力で日々目覚しい実を上げているのには、大いに注目、賞賛、尊敬に値する市政であります。
私はもうすでに数十回にわたり、学校教育課とは、江南市内での小中一貫校設置について具体的に出来るだけ深く掘り下げて、討論してきました。
先ず、この9年制を実現するための、第一条件は、新校舎を建てないこと、従前の校舎と運動場を活用することである。
この基本的観点から、常に具体的な青写は描き、着手、遂行されていかなければならない。
詰まり、新校舎の建設を伴う教育制度改革、莫大な経費が要される教育制度改革は必ず何時かは頓挫してしまうから、一番さけられなければならない学校行政である。
例えば、ここ古知野中学校は、古知野東小学校と古知野南小学校の生徒から、一グループとして成り立っている。
宮田中学校ならば、宮田小学校と藤里小学校の生徒から、一グループとして成り立っている。
制度改革にあたっての一番の問題点は、9年生までの生徒を一つの容器と言う学校で収容しなければならないという、物理的な絶対条件を何よりもまず先にクリアする要がある。
この絶対条件を満たすには、従前のある一つのグループを構成していた、学校全部の各々の間で通学区域を適切に線引きさえすれば良いことになる。用は足りることになる。
例えば、宮田中学校、宮田小学校、藤里小学校は、一グループを長年形成してきたから、この三校への通学区域に、巧みな線引きを設定して、各々9年制一貫校へ改革して行こうとする最初に臨んでの必須な手法である。
きっと頭初は、生徒達を収容する教室の確保、授業をスムースにこなしていく為の教員数、運動場のスペースの確保といった、極めて初歩的な問題が生じてくるであろう。
従って、(1)生徒、児童の各自の学力には全く影響を及ぼさない、観念的な旧来の弊習である「小人数学級」の打破。
(2)中学教師に於いて、一科目担当制から二科目担当制へ当分の間変更すること。
(3)ある一時期を設定して、グランドで大きな面積を要される、野球部のクラブ活動の中止。
という教育行政措置が、暫定的ではあるが必ず必要になってくる。
「小人数学級」とか「教科書選定」を、教育改革と位置付けていては、苦しみ泣くのは、日々現場に居る生徒達、児童達であることを関係当事者は、もう一度再確認し、銘記すべきである。
教育改革とは、義務教育期間9年間を、同じ敷地の中にある校舎での勉学、共有する運動場でのスポーツ、全生徒達の共有する校門を出入りしての登校下校、のみを限定的に意味する。
犬山型石田教育改革は、エセ改革であり、現場に居る就学生の学力向上に資する成果は何も期待できない。
こんな暇があったら、涼しい喫茶店で休息していた方が、遥かに増しである。取り越し苦労、エネルギーの浪費である。無駄な動きである。
我が街の教育関係者殿一同に、忠告しておきたいが、この様な中味のない雄弁家とは同じ視点で物事を見ないことである。そうすれば、決して腹立たしくならない。問題にしないことである。世の中どんな社会でも、上には上があり、下には下がある事実を熟知すべきである。どんな名改革案にも必ず反対者、ひねくれ者は現れるのがこの世の常である。
全国津々浦々の地方公共団体で、この9年制への賛同、即ち日本政府協賛、文部科学省推奨の「小中一貫校特区」への申請件数は、雨上がりの竹の子の如くに、日々うなぎ上りに増え続けております。一例を挙げれば、東京においても、生粋の江戸っ子により、品川区下の全小中学校間で「小中一貫校」構想が着々と実行されつつある。我が故郷の江南市も是非とも至急申請への決断を下されたく、貴殿堀江南市長に直に会って、腹蔵なく意見交換を致したく切望致しております。宜しくご理解とご面接をお願い申し上げます。
付記:今の所何度試みても、写真を取り込むことが出来ません。従って、写真は、日本製ブログをクリックして、ご覧くださいますように、お願い致します。
2006,8,15
小澤成次
2006,8、14
小澤成次
記
教育改革と銘打って、この美名の下に、「小人数学級」や「特定な教科書、参考書選び」の駄策を行うよりも、涼しい喫茶店で美味しいアイスコーヒーを呑みつつ、のんびりと新聞や週刊誌を読んでいた方が遥かに有意義な過ごし方である。
始めまして、小澤成次と申します。堀市長さんに是非ともお会いしたくて、ここにイーメイルをお送りいたす次第です。
ご承知のように、内閣府に於いて、構造改革の一環として、「小中一貫校特区」室が常設され、応募を大歓迎しています。
全国津々浦々で、日々益々多くの地方公共団体が、この特区に申請しつつあります。参加数は、目覚しく増えつつあります。
敗戦により、GHQから押付けられた、1997年に始まった633制は59年の月日が経ち、益々多くの歪んだ弊害を日々学んでいる子供達に惹起しております。延いては社会問題にまで波及しています。
戦前の日本やヨーロッパ諸国やアメリカやカナダの多くの州の様に、93制を公立学校に採用しようとする努力が、長年にわたり展開されてきました。
そこで、つい最近に至って、賢く正直な国民の底力から義務教育年限である小学校と中学校を同じ敷地に置いて、勉学やスポーツに専念させようとする試みが、具現化してまいりました。
之が、上記の政府及び文部科学省が推し進める、「小中一貫校特区」に関わる募集の趣旨狙いです。
官民一体が織り成す素晴らしいプロセスです。
40年以上の長年にわたる教育制度改革論者の私は、3-4月頃から毎週一日は必ず本市の市役所二回にある教育委員会の学校教育課へ赴き、可及的速やかに、この「小中一貫校特区」へ申請するように催促し続けている最中です。足が悪くなり歩くにも、精一杯の私ですが、何度も休憩しながら1時間半以上かけて昨今の猛暑にも負けずに本庁へ赴いている有様です。
既に、関係職員殿各位には、例えば滝教育長、岩田課長、野村課長補佐を始めとする皆さんには何度もお会いして、この93制について、融和を身上として意見交換を重ねてまいりました。残念至極ながら、私の意とする道筋は決して未だ確立しておりませんが、我が体力の続く限り、我が意が果たされるその日まで、不断の努力を払い続ける強い決意です。本市の関係各位殿に働き続ける決意を強く持っております。
他方、県内の三河地方の代表都市である豊橋市に於いては、マスコミが報じる下であまねく周知の如くに、教育委員会と市議会が完全に一体となって、この9年制への挑戦が活発に行われ続けられています。これは貴殿もご承知の通りであります。
ところで、無学で未熟な帝国陸軍や大分、佐賀、岩手等の所謂地方の貧乏県生まれで当時の東京帝大法学部の卒業者達「自身の幸せと出世を維持しようとする保守のためにのみ、政治信念を捨てて東京に便々と固執する」によって、打算なき戦火へと猪突盲進し続けて、結果敗戦宣言をも長年にわたり大幅に遅延させて、言語に絶する莫大な人的物的損失をもたらしたことは、貴殿も十分にご承知の処です。
一例を上げれば、我が国は、広大な領土を失い、教育制度までも先進文明諸国には一国、一例も見ない、極悪な制度へと強要採用させられて、以後戦後60年以上経つ今日までも依然として、世界に類を見ない未熟さで、この殻から抜け出すことが出来ないままの惨めな実状であります。現場の児童、学徒は日々大きな犠牲を強いられています。
しかし、戦後の教育改革への挑戦は、可也歴史が古くて、一例を挙げれば当選挙区選出の海部俊樹が、福田内閣下で1976年に、続いて中曽根内閣下で1985年に各々文部大臣に任命されて、この任に当たりましたが、周知の如くに成果は全くの皆無であった結末でした。
又、本市の隣接市である、犬山市の市長石田芳弘が、就任前から国の「教育改革、中央教育有識者審議会」のメンバーとして席を置き、市長就任後には教育改革と銘打って、「小人数学級」を推進していること、併せて実はこの学校行政に於ける施策が真の教育改革へのプラスどころか大変大きなマイナス、障害になってきていることも少し思い巡らせれば、明らかになってきて、賢明な貴殿ならば十分に納得の行く処です。
これら二氏が悉く実績ゼロに帰している理由は、共通して学生時代に「弁論部」に在籍していて、誠意なき雄弁家にすぎない人物、口先だけの政策を実行するには不適切な人柄であった点です。
端的にいえば、言語明瞭、意味不明瞭が共通点であります。
前者は後に内閣総理大臣に昇格したが、国民の先頭に立ちあるべき教育論を実行するに際しての資質、資格が欠けており、戦前のこの地から内閣総理大臣に昇格した、東京帝大法学部を一番で卒業した、お化けのような鬼才の加藤高明とは雲泥の差の、中味は雑な器であったことにも明らかでした。
この貧弱で雑な器の程度は、決してさほど難解でなかった当時の旧制愛知一中への試験さえも落第した事実からも垣間見ることが出来ます。裏づけられます。
又、後者は、戦後の国土が焦土と化していた極悪な風土、国民各自が日々の生計を立てるのに精一杯であったドサクサ紛れの期に、新潟の片田舎から立身出世を遂げんと、議員となったあの悪名高い「金権政治」の代名詞であった田中角栄の流れを汲んでいる人物であります。
従ってそもそも「心の豊かさ」を求めて、教育制度改革に取り組むべきには、適切にして、相応な人物とは到底いい難い、言わば「政治屋さん」と言えます。アメリカと北朝鮮との対面に見るが如くに、そんな彼らとまともに対面して相手になっている者の方が、むしろ明らかに左巻きのおつむそのものと看做されます。
この様な人物には、同じ視点で見るからこそ、激しい憤りが頻繁に起こるのであって、人種が違う、大阪でよく言う「部落民」として看做すという、詰まり決して同じ視点からものごとを見ないという姿勢が大切なのです。
犬山ッ子もやがては、年を重ねて16-18歳へと成長し、江南高校とか犬山高校とか西春高校へと進学します。その際、犬山市内の中学校を卒業した彼等、彼女等が、「かつて小人数学級」で学んだが故に、他校出身者よりも優秀であるという事態は、100パーセント起こりません。
これは、破れかぶれの意見で決して広くに公表するには芳しくはありませんが、又私自身大嫌いなのですが、遥かに中高一貫教育の「滝校さん、野球等のスポーツも優秀な春日丘さん」や戦前の学習院や武蔵の様に小中高一貫校の「神奈川桐蔭学園さん」で学ぶ生徒の方が、学問もスポーツも比肩の内にない程に遥かに優秀であろうことは、多言を要しません。
この犬山行政とは正反対に、豊橋市を始めとして、西尾市、一色町、阿久比町等の三河地方の多くの市町村や川向こうの岐阜県となるがここから地理的に近い大垣市では、教育委員会と市長を先頭とする市議会が強く結束して、一致協力して、内閣府と文部科学省の薦める「小中一貫校特区」にいち早く申請、参画して、不断の努力で日々目覚しい実を上げているのには、大いに注目、賞賛、尊敬に値する市政であります。
私はもうすでに数十回にわたり、学校教育課とは、江南市内での小中一貫校設置について具体的に出来るだけ深く掘り下げて、討論してきました。
先ず、この9年制を実現するための、第一条件は、新校舎を建てないこと、従前の校舎と運動場を活用することである。
この基本的観点から、常に具体的な青写は描き、着手、遂行されていかなければならない。
詰まり、新校舎の建設を伴う教育制度改革、莫大な経費が要される教育制度改革は必ず何時かは頓挫してしまうから、一番さけられなければならない学校行政である。
例えば、ここ古知野中学校は、古知野東小学校と古知野南小学校の生徒から、一グループとして成り立っている。
宮田中学校ならば、宮田小学校と藤里小学校の生徒から、一グループとして成り立っている。
制度改革にあたっての一番の問題点は、9年生までの生徒を一つの容器と言う学校で収容しなければならないという、物理的な絶対条件を何よりもまず先にクリアする要がある。
この絶対条件を満たすには、従前のある一つのグループを構成していた、学校全部の各々の間で通学区域を適切に線引きさえすれば良いことになる。用は足りることになる。
例えば、宮田中学校、宮田小学校、藤里小学校は、一グループを長年形成してきたから、この三校への通学区域に、巧みな線引きを設定して、各々9年制一貫校へ改革して行こうとする最初に臨んでの必須な手法である。
きっと頭初は、生徒達を収容する教室の確保、授業をスムースにこなしていく為の教員数、運動場のスペースの確保といった、極めて初歩的な問題が生じてくるであろう。
従って、(1)生徒、児童の各自の学力には全く影響を及ぼさない、観念的な旧来の弊習である「小人数学級」の打破。
(2)中学教師に於いて、一科目担当制から二科目担当制へ当分の間変更すること。
(3)ある一時期を設定して、グランドで大きな面積を要される、野球部のクラブ活動の中止。
という教育行政措置が、暫定的ではあるが必ず必要になってくる。
「小人数学級」とか「教科書選定」を、教育改革と位置付けていては、苦しみ泣くのは、日々現場に居る生徒達、児童達であることを関係当事者は、もう一度再確認し、銘記すべきである。
教育改革とは、義務教育期間9年間を、同じ敷地の中にある校舎での勉学、共有する運動場でのスポーツ、全生徒達の共有する校門を出入りしての登校下校、のみを限定的に意味する。
犬山型石田教育改革は、エセ改革であり、現場に居る就学生の学力向上に資する成果は何も期待できない。
こんな暇があったら、涼しい喫茶店で休息していた方が、遥かに増しである。取り越し苦労、エネルギーの浪費である。無駄な動きである。
我が街の教育関係者殿一同に、忠告しておきたいが、この様な中味のない雄弁家とは同じ視点で物事を見ないことである。そうすれば、決して腹立たしくならない。問題にしないことである。世の中どんな社会でも、上には上があり、下には下がある事実を熟知すべきである。どんな名改革案にも必ず反対者、ひねくれ者は現れるのがこの世の常である。
全国津々浦々の地方公共団体で、この9年制への賛同、即ち日本政府協賛、文部科学省推奨の「小中一貫校特区」への申請件数は、雨上がりの竹の子の如くに、日々うなぎ上りに増え続けております。一例を挙げれば、東京においても、生粋の江戸っ子により、品川区下の全小中学校間で「小中一貫校」構想が着々と実行されつつある。我が故郷の江南市も是非とも至急申請への決断を下されたく、貴殿堀江南市長に直に会って、腹蔵なく意見交換を致したく切望致しております。宜しくご理解とご面接をお願い申し上げます。
付記:今の所何度試みても、写真を取り込むことが出来ません。従って、写真は、日本製ブログをクリックして、ご覧くださいますように、お願い致します。
2006,8,15
小澤成次