誠実で賢い同じ国土に住む同志の邦民を徹底的に愚弄し馬鹿にし続ける、戦後雨上がりの竹の子の様にこぞって新生して来た政治家層、社会指導層の姿勢に対しては、米、英等の欧米先進諸国には国連で分担金だけ多く払わせて発言権を持たせないようとする対抗手段をとる、この様な潜在的な意図を読み取ることが出来る
こんにちは、我が最愛の国際放送CNN及び我が師と仰ぐBBCの皆さん!お元気ですか?
この頃、副業の道路掃除で結構忙しいものの、多くの皆さんと交流できる楽しみを感じています。このつまらない副業に対してと言えども、パソコンももう一台増やして、決して焦らず逐次経済的戦略体制をもっと強固なものへ発展させていかなければいけません。
今回は気軽に日本語で我が心を刻んで、心身を今週は少し休めようと思っています。宜しくお願いいたします。
常に下の国民の立場に立って、紋切り型の強硬外交は断じて謹んで、「安全第一」の外交姿勢を展開すべきは、多言を要さない。「安全第一」の外交姿勢に徹していただきたい。宜しくお願いいたしておきたい。
さて、8月16日カニかご船<花咲ガニ>が、操業中ロシア国境警備隊に、銃撃の上拿捕された。船長以下3人が連行、取調べを受け、一人は流れ弾があたり死亡した。
この事件で、日本側は、麻生外務大臣は、在日ロシア大使館員を呼んで、「我が国領域内で操業中の事件なので、即時全乗組員と当船を返還すること、ロシア司法機関によって関係者の処罰をすること」として強硬な抗議を申し込んだ。
問題は、政府高官がたびたび行うこの種の「強硬な外交姿勢」である。結論を言えば、国力及び我が身を先ず熟考してから、慎重の上にも慎重に言動、対策を採るべきである。主権ある国家間、基本的人権に守られている個人間でも、決してこの世は平等な社会ではないと言う現実を勘案していただきたい。さもないと、弱い立場の無防備な我々国民である個々人が、国際社会で関係他国から、繰り返して同じ類のしっぺ返しの被害を蒙る憂き目に遭うことになるからである。
真相はこうだ。
1、
我が国海域に於いて、国民の人命が失われたと言うなら、これ「国民の生命財産を不当に侵害された」ことに、該当するので、「日米安全保障条約」により、何故締結国の米国に救助を求めないのか?
国土が狭く、しかも出てくる政治家諸氏は、殆ど前時代的な世襲制の2-3世ばかりの国に、どうして米国がまともに取り合ってくれるのか?まともに取り合ってくれないであろうこと位は明白である。
2、
どんな小さな船でも、現在位置「経度、緯度」と進行方位は、正確に表示される装置を搭載している。海の中の海域の境界線に一般人が肉眼で見ることができる標識がなくても、船長は、上記2点を正確に把握し切っている。闇雲に航行しているわけでは決してない。
3、
ロシア国境警備隊は、当船がロシア海域内に入ったので、拿捕したと主張している。
99.99パーセントの確率でロシア側の主張が、真実だろう。日本船は、相手を舐めきって又は誤って、軽率に領海を侵犯したことであろう。
特に強調いたしたいのは、自分がいい加減な人間なので、相手側もいい加減な人間であろうと看做している、日本の外務省並びに外務大臣の甘い姿勢こそ咎められるべきではないか?相手を舐め切っていやしないのかと私は思う。
4、
むしろ争点は、侵犯した我が国籍の船に、先ずイエローカードである威嚇射撃で、指図に背いた場合には次に初めてレッドカードである本射撃の順を何故踏まなかったのかという、ロシア側のプロセスの飛躍である。
そこで、頭に浮かんでくるのは、建前と本音、法の下での平等は、現実社会では、国内社会、国際社会共で決して守られていないという実情である。
5、
国連憲章で、主権ある国家間では平等であると規定されているが、全く遵守されていない。
フィンランドと同様に大学は全部国立で、政治家は世襲制でない国群の一国で、国土が日本の25倍、12億の民がいる、中国、江沢民や胡耀邦等のその国の最高責任者である歴代の総書記と日本と言う狭い国、そこの首相との間では決してゆめゆめ平等ではない。日本の25倍の国土を持ち2億8千万の民がいる米、及び大統領との間でも然りである。
国土が日本の45倍、政治指導者層は、世襲制でなく、世界一の教育制度を堅持するロシア及びそこの大統領間でも、又然り。
同じ敗戦国ではあるが、多種多様な複雑な教育制度を持つが全ては共通して二区分制で、私見かもしれないが世界第二位の優れた教育制度を堅持し、しかもたった8千万人の人口だがオリンピックで毎回ロシア、アメリカを脅かす程の多くのメダルを獲得し、言うに及ばず国家政治指導層は、ゆめゆめ世襲制ではない国、ドイツ及びそこの首相と日本及びここの首相間では、全く平等ではない。
むしろ平等であったら、之こそ大問題となり、悪平等そのものとなる。
6、
よく中国と日本の首脳が、仲良く二人で写真におさまっている光景を新聞で見る。
歴代のどの総書記も正に国が練り上げた逸材、威厳と重厚さ品格に満ちているという印象がひしひしと感受されてくる。一方、我が国の首相は、どなたも誠実な感はするが、軽々しくタレントの様である。
これら両国間が、平等であろう筈はない位は、高校生でも分かる。
7、
本件<花ガニ船>拿捕に於いても、ロシア国境警備隊の船員の処罰は法外の要求であり、むしろ被拿捕船の本邦への返還は不可能であり、船長はロシア司法機関による裁きを免れない。
外務省は、当船長への寛容なる判決、今後の同類事件勃発防止への約束、早期身柄引き渡しを鄭重に担当大使へ申し出るべきではないか?
俺には、この国に政治家の世襲制が良いのか悪いのか、適しているのか否かは分からない。善悪を言っているのではない。ただ断言できるのは、日本の江戸時代の「庄屋制」とか「コザック」とか「皇帝制」とか「王朝政治」は、前時代的な体制であるぐらいのことは、政治に関心の無い俺でも分かる。
尚も俺が言う主張に文句があると言うならば、それでは政治家諸先生方がよく尊敬しているという、チャーチルにしてもドゴールにしてもアデナンワーにしても毛沢東にしても、これらの世界歴史に残る傑出した偉人の子孫が彼の国々で現在も国の一線で政治指導者となっていますか?と言いたい。どうなのか?
2-3世が多い、我が国の政治家諸氏の生い立ち、詰まり世襲制への固執とは余りにも隔たりが大きくありませんか?何故ならば、政治家は、国の指針を決める最も肝要な立場にある人物であり、公人の性格が極めて濃いからである。
之も偏に大戦後の極悪な教育制度に起因しているから、この制度改革に当たることこそが戦後の日本国民の根幹的な改善に向けての課題ではないのか?
分かりやすい例を挙げよう!プロ野球の大投手は、一般的に大打者よりも薄命、短命の傾向がある。短くとも太ければ、それはそれでいいのではないか?5年も10年も立て続けに毎年10勝以上も挙げる者のことである。これら大投手に、男子の息子が出来ても、8-90年に上る我が国のプロ野球史上で親子揃ってこんな意味に於ける大投手が出現した事例は無い。今後も99,99パーセントの確率で不可能であろう。政治家諸先生が、盛んに口にされる英でも独でもフランスでもお隣の中国でも、上記の親子二代にわたる大投手に成る程、政界のトップの世界に二世議員が生まれることは、難しいことではないかと私は思う。
8、
又私の長年のライフワークに戻ってしまい、お許し願いたい。
そこで結論を記したい。
内政では時には強硬政策は、多少暴君でやんちゃでも国民を鼓舞するので、時には許される。
小泉さんの郵政民営化に於ける暴君的手法も又良しである。
しかし、列強諸国相手の外交面では、「相手を見て紐を解け」の諺のように、この強硬外交は、国民がしっぺ返しをくらい、危険に晒されるので、極力避けていただきたい。さもないと、第二、第三の漁船員の死亡事件は後を絶たないであろうことは明白である。ロシアの国境警備隊員でも、政治家諸氏がよく親友として口に上げるアメリカの政府関係者でも、肝要な時局に際しては、日本の政治家等眼中になく、全く軽視している政情の流れをはっきりと再確認すべきである。
自分は、クレーンのオペの様に高く安全な所にいるので、身の安全は保証されるが下にいる国民は堪ったものではない。例えば、外遊するに当たっても、政府高官は、随員が数十名つくので身の安全は保障されるが、国民は外国旅行でも外国駐在でも単身である。北海道の漁船は、生計の為に大海原で武器なしで操業しなければならない。常に下の国民の立場に立って、紋切り型の強硬外交は断じて謹んで、「安全第一」の外交姿勢に徹していただきたい。宜しくお願いいたしておきたい。
誤ったことを犯して、何の弁償なしで退陣するだけで許されるならば、保身の為に少しでも多くの誤ったことをやり得となるとは違うのか?どうなのか?
9、
先程、JOCは2016年のオリンピック候補地を東京に決めたが、タレント上がりの首長が音頭をとるこの企画は水泡に帰すことぐらいは明白だ。負けいくさに決まっているので、要は大阪の轍を踏まないことに終始すべきではないのか?当時の大阪のお偉方は政財界共こぞって、生計を立てるのに精一杯で、困憊疲労しきった正直な市民を横目で見てみぬふりをして、非情にも当時の遠山文相の協賛も得て、IOCの舞台に臨んだが案の定問題にされずに、大阪は118票中たった6票を獲得しただけだった。俺は当時ホームペイジで堂々と反対意見を公開し続けて、結果を見て、心から嘲り笑ってやった。首謀者の磯村市長は即時退陣したが之当たり前で、問題は9年半でこの打算なき招致の為に、48億円の大金がどぶの中に捨てられたことだ。誤ったことを犯して、何の弁償なしで退陣するだけで許されるならば、保身の為に少しでも多くの誤ったことをやり得となるとは違うのか?どうなのか?
東京に住む賢い生粋の江戸っ子は、こんな大阪の無様さに、轍を踏まない様に一途に勤めることである。
脇目を観ずに、敗戦で失ったものの、償いうる唯一の物、詰まり戦前の如きの教育制度復活へコツコツと挑戦して欲しいと心底から叫び続けて止まない私である。
同じ愛知県でも、同じ世代にあっても、人それぞれで能力は違うし、生き様は違って当然。だがお互いに常にもっと正反対な生き方をする方々へ、理解しあおうとする心構を強く持つことだけは、不可欠ではないかと何時も思う。そう努力すれば、下品の塊が歩いている様な風潮、姿は逐次昭和病院からなくなる筈である。院長以下幹部経営者は、どう思うのか?
A,
処で私は大阪時代の晩年にタクシーに乗務していたので、多くの色々な方々と話しをした経験を持つ。高層マンションに住む水商売のお姉さん達も乗せた。言わば土地なし、鳥のような狭い空間を住まいに持つ女性達である。如何に厚化粧をして高価な衣装で身を飾っても、さしたる品位がない。下品の塊が座っているようであった。それに比して、母国に帰ればいずれも余るほどの広い土地がある、アメリカ人とかオーストラリヤ人等の女性達も見てきたし、乗せたことがあった。化粧なしで、普段着の身だしなみであったが、気品が滲み出ていた。
当時から何時も常に、大都会の流れにうずもれて、マンション暮らしをするよりも、地方都市や田舎で、土地付きの家で人間らしい生活を送る方が、遥かに人生の勝者であろうと私は思い続けてきた。今でもそう確信し続けている。
話は飛ぶが、自他とも認める優良老舗の企業である、近鉄が先年某プロ野球チームを手放した。古田選手会長は、球団数の削減に反対の音頭をとって質より量の選択に奔走した。それがどうだ。次々と球団買収に名乗り出たIT企業は、土地なし、家なしの六本木ヒル族で、多くの国民に大迷惑、大損害をかけっ放しの詐欺会社ばかりであった。
いにしえの昔から、中国には、道徳観の一つとして、中庸という理念がある。分かりやすい例を挙げれば、道路で前途ある若者がみすぼらしい姿で物乞いをしていた。弱者への慈悲心は言うまでも無く美徳である。そこで、この姿を見た一介の極平凡な安サラリーマンである通行人が、財布に1万円しかないのに、9千円も恵んでやった。之は決して「中庸」ではない。1-2千円程度を恵んでやるのが、之「中庸」である。
確かに、体を動かすスポーツは国民の健康によい。青少年の教育過程でも推奨されるべきである。官民一体となって迎合すべき対象である。
それだからといって、歴史は浅いし、資本金の蓄えも少なくさしたる不動産もなく、取りあえずは、地道な自らの業績によって、逐次遅くとも着実に自らの企業を成長させるべきの資金を増やさなければならないような、駆け出し一企業が、訳の分からないむやみやたらな「分割」の連続で、即ち詐欺行為で広く国民各層から不正にかき集める手法で、資金を調達したような脆弱な立場でありながら、プロ野球球団の経営に参画しようとする方向性そのものが、「中庸」ではない。多くの投資家の意に反する裏切り行為であって、全国の投資家は怒り心頭していることを銘記すべきである。己の企業が自らの経営過程で、財政的に余裕綽々であれば、このプロ野球球団の経営参画も時には「中庸」に該当する。マネイワンダリングとしか思えないがどうなのか?不正所得の外国銀行への預金ではないのか?今起訴中の、ホリエモンや村上どころではない。地獄に一度は落ちるがいい!違うのか?
私は先日、地元紙の中日新聞を読んでいた。無いものずくしでお客さん相手でなく、投資家から集金を試みた、プロ野球へ触手している某IT詐欺会社と180度正反対のポリシーである。東建コーポという愛知県三河地方発祥の住宅会社の社長さんが、一面をまるごと占めて題材的に会談内容が掲載されていた。無借金会社として有名な企業で、「企業の発展は、皆さんの事業に対する評価によってなされるものであり、資金調達という名の下で、上場の立場を利用して見知らぬ皆さんから資金を集めるなんて思いもしなかった。事業が評価されて拡大していけば、お客さんから頂いたお金で潤い、自然と資金も潤沢となる。後指を指される経営で急成長を遂げても、悪評判が立たば信用を落とし、経営者が窮地に陥るだけだ」というものだ。生粋の愛知県人、三河人そのものの真正なる経営理念である。私は感動した。
ちなみに、この会社の株価は、私がいかさまIT企業の株を買った2003年8月には1,300円であったが、一途にうなぎ上りに上がって、今では約6倍の8000円となっている。
話は戻るが、問題とすべきは、つい最近のIT企業群の上記の「非中庸、過度」である。
どれだけ多くの国民が人生をすんでに台無しにさせれられそうになったことか?何が「六本木ヒル族」だ!何が「六本木ヒル貴族」だ!チャンチャンラおかしい。
入居者は、詐欺曲がりの商法で信用等到底出来ない者が圧倒的に多い。そこで働くOL達も又どんな素晴らしい制服を身に着けていようが、下品の塊が歩いているよう様な下種な女に決まっている。この目で見て確かめるまでもない。
某IT企業の女子社員は、会社の業績を伸ばすには「知名度を上げること」だとする社長の方針に賛同していた。実際この企業は、パリーグの某球団のホームグランドの命名権を買い取り、知名度をどの優良企業よりも全国的に上げることには大成功したが、業績はサッパリ、株価はサッパリ、おまけに株主への利益還元100パーセントを最優先の社訓としながら、実際の配当金の少なさは天下一品のお粗末さである。
これ以上少ない配当金はない。私が持つ他の優良企業の株式配当金の10分の1だ。
日本人は、決して馬鹿ではない。知名度だけで企業、個人を評価するほどの浅はかでは決して無い。
知名度ならば、誰でもなれる性道徳観念等微塵も無いAV女優は、申し分ないが、それでは社会的評価が高いのか?
中には第二の人生、職業転換で成功される女優さんはいるので、一概には断言できないが、決して知名度に比例した社会的評価を得てないのではないか!
私は、ロシアのサンクトペテルブルグにいたが、緑の中に住家「住宅用コンプレックス」が、ある感じで、ビルの高さは一様に9階建てで、これ以上高い建物は何処にもなかった。タクシーの運転手さんも新聞売りの若い女性も、見るからに品位が滲み出ている。品位の塊であった。
もし、欧米先進諸国の選手、関係者が、オリンピックで東京を見れば感心どころか、無秩序な高層ビルの乱立、地下には地下鉄が縦横無尽に走り、地上には高架線で高速道路があちこちに貫通する姿を見て、土地を持たない民族の悲劇に、むしろ哀れみを抱くに違いない。何処を探しても豊かな自然がない。この国は、自然環境の保護という言葉を知っているのかと疑問を持つに違いない。これ以上に東京を目先だけの便利性を追求して再開発しても、自然が壊れていくだけで、この姿に世界の誰が感動することか?恥を晒すだけではないのか?
中東では、イスラエルとパレスチナが、隣国で容姿が同じ民族でありながら、お互いに我が住処、永住の地を求めて今尚血なまぐさい抗争は続いている。如何に持分とされる領土の面積、広さは、お互いに民族の宝であるのかを垣間見ることが出来る。
私はよく近くの総合病院である昭和病院へ行く。足腰がすっかりと弱って、歩くのにも不都合になってきたからである。クレーンの仕事がなくて、万やむを得ずこの地を後にした時にも、既に腎炎の病にかかっていて健康体ではなかったが、自身が杖がなくては歩けない体になるとは、夢にもつい最近まで、大阪時代の晩年になっても想像だにしていなかった。
親からもらった知力を自分だけの幸せの為に使う者、国家の為に使う者、世界の為に使う者、悪者退治に使う者、自分の趣味に使う者などなど男の生き様は千差万別である。
よく帰省して、東海市とか大阪へ行く時に昭和病院の前を通っても、看護婦さんとか医師とは我が身にはまだまだ無縁の方と思い無関心であった。しかし。現実にこの様な体になって初めて、病院、医院、先生、看護婦さんにお世話にならざるを得ない身となって、病院関係者に感謝するようになり、特に看護婦さんのなんでもない簡単な手助けを、万感の思いで感謝するようになって来た。
私の場合、点滴をする場合血管が出にくいので、針を血管に打ち込むことができない看護婦さんに出会うと、何度も痛い目に遭う。しかし、上手な看護婦さんは手で摩り、触覚で血管の位置を確かめて、いとも簡単に点滴を済ます。人間は同じことを何度も繰り返せば、上達する傾向がある。しかし、こんな係りに日頃席を置きながら、しかも同じ注射針を使ってもどうしてある方は、いとも簡単にするが、ある方は、どうして失敗ばかりするのかと不思議でならないときがしばしばある。
B、
ここで、極めて大切なヒントを提示しよう。
目で見えないので手で血管を確認して、簡単に点滴をこなす看護婦さんは、統計的にこの江南市生まれの江南市育ちの者に多いという傾向である。
看護婦さんという資格は、全国共通で全国就労可能なのか、それに誰でも取得できる資格である代わりに、色々な方が混在しているという現状である。各自の資質間に於いて、上下の差が大きい。
昭和病院へ行くと、中には大阪の中でも都心部のマンションを住処にしている、前述の水商売の女性や「六本木ヒル族」のOLの様に、下品の塊が歩いている様な看護婦さんも中にはおられる。致し方ないことではあるが、この現実を院長以下の病院経営者、幹部陣は何と心得ているのだろうか?どう対処するつもりなのか?
根気よく通う罹患する者の身になって少しは考えて欲しいものだ。
C,
話は変わるが、まんざら無関係な流れの展開ではない。
ここ愛知県には、三河地方に公立の岡崎高校という学校がある。極悪な教育制度の真只中の公立校でありながら、毎年東大合格者数は全国公立校中、一位である。戦前は愛知二中であった。ちなみに公立校の双璧を成す一宮高校は六中であった。岡崎は、家康誕生の地であるほか、吉田本丸城で知られる豊橋も近くにあり、由緒ある史跡豊かな古い歴史感の香り漂う街であり、昨今も世界のトヨタの本拠地の傘下に位置している。
現代ばかりか歴史的にも、一宮市の上を行く地の利を得て、恵まれた地勢に位置している。
この高校の一女子高生が、「うちの学校では、主体ある者の集まりで、自分で学習計画を立てて、自ら進んで学習して行こうとする意欲を持つ者ばかりであり、主体性に欠ける者は来ないほうが良い」とネットで述べていた。
きっと、広範囲に三河地方の多くの中学校から、秀英をかき集めて成り立っている学校であろう。
きっと彼等は三河地方で、何世代にも亘り歴史を織り成してきた、土着、生粋の三河人が生んできた永い歴史の申し子達ばかりであろう。
この尾張地方の一宮高校とその点でオーバーラップする。極悪な教育制度下にあっても、そこに学ぶ生徒達は国公立大への進学を無言の内に強要、義務付けられている。殆ど全員は、東大、名大等の国公立大へ進学する。
しかし、思うにそれら高校に学ぶ全ての生徒達が全部が全部、主体性に満ちて、学習に多大なエネルギーを費やしている者ばかりかなのか?と言えば、極々僅かではあるが、例外中の例外はいるように思うが如何なものか?
具体的に言えば、始めから省エネで私学への進学を我が道とする者である。教育界へ口出しする柄でもないのに、浅学未熟な烏合の衆をかき集めて訳けの分からない教育論を頻繁に演説するばかりか、厚顔にも東京へ出かけて、中央教育審議会に臨席して、この上ない無抵抗、無垢な子供の教育にぬけぬけと意見を具申する戦後の政治家達、自称地方の名士達である。大阪弁で言えば、「いい格好シー」である。
後続の後進の教育改革論者に少しでもいい位置で、バトンを手渡すのが彼等の任務なのに、すっかりと忘れて専ら私腹を増やすこと、保身しか眼中にない、特に社会的に最高に弱い立場にある子供相手の教育界へ入り込んでくる、貧者番付一位の大分、佐賀、岩手の政治家達と同じ視点に立つ不逞のやからである。
現犬山市長石田芳弘や元日本国総理大臣海部俊樹や現民主党党首小澤一郎等がこの上ない好例である。
ちなみに小澤氏は、岩手県を地盤にする政治家で常に改革を叫んでいるが、彼の潜在意識には常に生活の糧をなす東京に根を下ろす志向、東京への拘泥心が厳存している。改革どころか、大衆迎合を身上としており、超保守主義的国粋主義者である。今話題沸騰の「靖国」に対しても、「そもそも東京裁判は、戦勝国だけによって裁かれた判決ゆえに、A級であろうがB級であろうがC級であろうが戦犯者への判決そのものは無効である」という持論を持つ論外の暴論者である。之が国連中心外交主義者と常日頃自負している者の哀れな政治姿勢、女のような二股膏薬の政治姿勢である。何処の世界に敗者が勝者の世界を支配出来たという事例があろうか?自民党の超保守派の範疇に入る危険思想である。その他にも沢山あるが、ここでは横道で且つ長文となるので、割愛させていただく。
尚、首相官邸に新たに常設される運びとなった、「小中一貫校特区室」の推進、展開には、義務教育の最終年限期に、イギリスの様に全国共通の学力テストを施行して、結果限られた地域的にも見ても余りにも成績が芳しくない中学校には、さしあたり規定の援助金をサスペンドする等の制裁措置を一時的に採ったらどうなのか?そうすれば、学校上げての学力向上の為に、この「9年制の小中一貫特区」へ申請する自治体、市町村が全国津々浦々で急増してくる弾みになることは、明らかである。
併せて、この制度を施行、実効するプロセスに於いては、何度も力説止まないように、決して新たな学校新設という姑息な卑怯な、わき道、手段ではなくて、既存の施設である敷地校舎を極力再利用して行こうとする正々堂々たる大道、手段を原則的に終始、歩み採るべきを今回も強調しておきたい。
D,
話題を戻そう!我が説得すべき相手はこの限られた狭い生まれ故郷にあるのだから、、、、、。
主体性を押さえ、自己を殺して全ては全体への調和に傾ける、団体生活を身上とする昭和病院の看護婦さん達とは、上記の一女子高生の渡世は180度に違う。団体の中でしか生きていけない、昭和病院や江南市役所の就業者とは余りにも大きく違う。この女子高生だって、いつかは体が不自由となれば、こんな生き様からサヨウナラを告げなければならなくなる。
私は思う。同じ愛知県でも、同じ世代にあっても、人それぞれで能力は違うし、生き様は違って当然。だがお互いに常にもっと正反対な生き方をする方々へ、理解しあおうとする心構を強く持つことだけは、不可欠ではないかと何時も思う。
確かに、看護師という資格そのものが誰でも取得できる資格なので、上と下との差が大きくてもやむをえない現状である。とはいうものの、そう心がければ、下品の塊が歩いているような姿、風潮は、逐次昭和病院から消えていく事であろう。
足が不自由になってしまった私は、何度も言うが、かつては関心ゼロであった医療関係者にいやおうでもお世話にならなければならない。特に看護婦さんは、我々障害者の手足、体の一部となってくる。お世話にならなければならない、看護婦さんである。心の方も気構えだけは潜在的でよい、成長して欲しいものである。
米、英等の欧州諸国は日本にもっともっと多くの上納金、分担金を課すべきではなかろうか?
大きな失敗を許されない人種。詰まり、知力はあるが、足腰が弱く生命力が弱い、コーカソイドの宿命、特質、運命である
10,
従って、大体俺に言わせれば、アメリカに次いで世界第二位の国連の分担金19パーセントを負う我が国は、分担金が多すぎるどころかこの様な前述の一連の後進性を見るにつけ、少なすぎる感がしてならない。「常任理事国入り」とか「国連改革案」等もってのほかの要求である。老人の寝言もいい加減にして欲しい所である。
何の発言権を持たない国日本と言えども、世界のヒノキ舞台で列強の首脳達と握手するだけでも、もったいない。アメリカ等は日本にもっともっと多くの上納金を課すべきではなかろうか?
日米開戦に当たっても、海兵卒の秀才であった野村吉三郎大使「在米日本大使館付武官」は、この途は打算なき戦であり避けるべきであると主張し続けて、ハル長官に何度も和平への糸口を求めて接見している。しかし、当時のアメリカ首脳は、日本の一連の無謀さにこれ以上耐え切れない極限に達しており、既に完全に日本を見くびっていた。見捨てきっていた。言い換えれば、アメリカへ宣戦せずにはいられないと言う不利な立場、環境へと我が国を逐次追いやっていったのであった。「経済制裁の枠組み拡大」や「屈辱外交への隷属」がそれである。
これこそが失敗を許されない、事に当たる際の、コーカソイド特有の緻密で計算ずくめで正確な奥行きの深い読み、思慮深さであり、思考方法である。
誠実で賢い同じ国土に住む同志の邦民を徹底的に愚弄し馬鹿にし続ける、戦後雨上がりの竹の子の様にこぞって新生して来た政治家層、社会指導層の姿勢に対しては、米、英等の欧米先進諸国には国連で分担金だけ多く払わせて発言権を持たせないようとする対抗手段をとる、この様な潜在的な意図を読み取ることが出来る。明らかに見え隠れしてくる。つまり、何時でも否だったら国連を脱退しても構わないとする準備万端な緻密な根回し、段取りである。大きな失敗を許されない人種。詰まり知能高いが、足腰が弱いコーカソイドの特徴、宿命、本能である。
この俺の予感が外れていることを、望むや切である。
11、
彼の大戦で我が国は壊滅的な打撃を蒙ったが、今日に見るが如くに復興を遂げた。之は足腰が強く、雑草のように生命力が強い国民性の賜物である。恐らくドイツ国民ならば、そのまま奈落の底へ落ち込んだままであったろう。這い上がれなかったであろう。その分彼等には歴史の流れの中で、大きな誤りは絶対に許されない宿命を持ち、現に決して冒してこなかった。
しかし、如何に生命力が強くて、足腰が強いのが我が国民の特徴と言えども、打算なき戦火へのアクセスという轍を再び踏めば、今度はもっともっと立ち上がるに永い時間、年月がかかることを、時には回復不可能な奈落の底に陥るであろうことを、特に国政を預かる為政者に警鐘を鳴らしたい。
本文遂行中に、多分に我がライフワークである教育制度改革という横道へそれてしまったことを、お許し願いたい。しかし、私の本心は政治家でもないのに、又未だこの町で宿願の小中一貫教育が施行される暁を見ないのに、又未だ地元の保身に拘泥している傾向の小役人を説き伏せ牛耳っていないのに、多岐多様な問題に考察してきたことを、多くの日本国中のこの93制への熱心な賛同者に深く深くお詫びいたしたい気持ちで一杯であることを、披露して挌筆と致したい。
許可なくして、転載、引用等の一切の転載を禁ず
小澤成次
こんにちは、我が最愛の国際放送CNN及び我が師と仰ぐBBCの皆さん!お元気ですか?
この頃、副業の道路掃除で結構忙しいものの、多くの皆さんと交流できる楽しみを感じています。このつまらない副業に対してと言えども、パソコンももう一台増やして、決して焦らず逐次経済的戦略体制をもっと強固なものへ発展させていかなければいけません。
今回は気軽に日本語で我が心を刻んで、心身を今週は少し休めようと思っています。宜しくお願いいたします。
常に下の国民の立場に立って、紋切り型の強硬外交は断じて謹んで、「安全第一」の外交姿勢を展開すべきは、多言を要さない。「安全第一」の外交姿勢に徹していただきたい。宜しくお願いいたしておきたい。
さて、8月16日カニかご船<花咲ガニ>が、操業中ロシア国境警備隊に、銃撃の上拿捕された。船長以下3人が連行、取調べを受け、一人は流れ弾があたり死亡した。
この事件で、日本側は、麻生外務大臣は、在日ロシア大使館員を呼んで、「我が国領域内で操業中の事件なので、即時全乗組員と当船を返還すること、ロシア司法機関によって関係者の処罰をすること」として強硬な抗議を申し込んだ。
問題は、政府高官がたびたび行うこの種の「強硬な外交姿勢」である。結論を言えば、国力及び我が身を先ず熟考してから、慎重の上にも慎重に言動、対策を採るべきである。主権ある国家間、基本的人権に守られている個人間でも、決してこの世は平等な社会ではないと言う現実を勘案していただきたい。さもないと、弱い立場の無防備な我々国民である個々人が、国際社会で関係他国から、繰り返して同じ類のしっぺ返しの被害を蒙る憂き目に遭うことになるからである。
真相はこうだ。
1、
我が国海域に於いて、国民の人命が失われたと言うなら、これ「国民の生命財産を不当に侵害された」ことに、該当するので、「日米安全保障条約」により、何故締結国の米国に救助を求めないのか?
国土が狭く、しかも出てくる政治家諸氏は、殆ど前時代的な世襲制の2-3世ばかりの国に、どうして米国がまともに取り合ってくれるのか?まともに取り合ってくれないであろうこと位は明白である。
2、
どんな小さな船でも、現在位置「経度、緯度」と進行方位は、正確に表示される装置を搭載している。海の中の海域の境界線に一般人が肉眼で見ることができる標識がなくても、船長は、上記2点を正確に把握し切っている。闇雲に航行しているわけでは決してない。
3、
ロシア国境警備隊は、当船がロシア海域内に入ったので、拿捕したと主張している。
99.99パーセントの確率でロシア側の主張が、真実だろう。日本船は、相手を舐めきって又は誤って、軽率に領海を侵犯したことであろう。
特に強調いたしたいのは、自分がいい加減な人間なので、相手側もいい加減な人間であろうと看做している、日本の外務省並びに外務大臣の甘い姿勢こそ咎められるべきではないか?相手を舐め切っていやしないのかと私は思う。
4、
むしろ争点は、侵犯した我が国籍の船に、先ずイエローカードである威嚇射撃で、指図に背いた場合には次に初めてレッドカードである本射撃の順を何故踏まなかったのかという、ロシア側のプロセスの飛躍である。
そこで、頭に浮かんでくるのは、建前と本音、法の下での平等は、現実社会では、国内社会、国際社会共で決して守られていないという実情である。
5、
国連憲章で、主権ある国家間では平等であると規定されているが、全く遵守されていない。
フィンランドと同様に大学は全部国立で、政治家は世襲制でない国群の一国で、国土が日本の25倍、12億の民がいる、中国、江沢民や胡耀邦等のその国の最高責任者である歴代の総書記と日本と言う狭い国、そこの首相との間では決してゆめゆめ平等ではない。日本の25倍の国土を持ち2億8千万の民がいる米、及び大統領との間でも然りである。
国土が日本の45倍、政治指導者層は、世襲制でなく、世界一の教育制度を堅持するロシア及びそこの大統領間でも、又然り。
同じ敗戦国ではあるが、多種多様な複雑な教育制度を持つが全ては共通して二区分制で、私見かもしれないが世界第二位の優れた教育制度を堅持し、しかもたった8千万人の人口だがオリンピックで毎回ロシア、アメリカを脅かす程の多くのメダルを獲得し、言うに及ばず国家政治指導層は、ゆめゆめ世襲制ではない国、ドイツ及びそこの首相と日本及びここの首相間では、全く平等ではない。
むしろ平等であったら、之こそ大問題となり、悪平等そのものとなる。
6、
よく中国と日本の首脳が、仲良く二人で写真におさまっている光景を新聞で見る。
歴代のどの総書記も正に国が練り上げた逸材、威厳と重厚さ品格に満ちているという印象がひしひしと感受されてくる。一方、我が国の首相は、どなたも誠実な感はするが、軽々しくタレントの様である。
これら両国間が、平等であろう筈はない位は、高校生でも分かる。
7、
本件<花ガニ船>拿捕に於いても、ロシア国境警備隊の船員の処罰は法外の要求であり、むしろ被拿捕船の本邦への返還は不可能であり、船長はロシア司法機関による裁きを免れない。
外務省は、当船長への寛容なる判決、今後の同類事件勃発防止への約束、早期身柄引き渡しを鄭重に担当大使へ申し出るべきではないか?
俺には、この国に政治家の世襲制が良いのか悪いのか、適しているのか否かは分からない。善悪を言っているのではない。ただ断言できるのは、日本の江戸時代の「庄屋制」とか「コザック」とか「皇帝制」とか「王朝政治」は、前時代的な体制であるぐらいのことは、政治に関心の無い俺でも分かる。
尚も俺が言う主張に文句があると言うならば、それでは政治家諸先生方がよく尊敬しているという、チャーチルにしてもドゴールにしてもアデナンワーにしても毛沢東にしても、これらの世界歴史に残る傑出した偉人の子孫が彼の国々で現在も国の一線で政治指導者となっていますか?と言いたい。どうなのか?
2-3世が多い、我が国の政治家諸氏の生い立ち、詰まり世襲制への固執とは余りにも隔たりが大きくありませんか?何故ならば、政治家は、国の指針を決める最も肝要な立場にある人物であり、公人の性格が極めて濃いからである。
之も偏に大戦後の極悪な教育制度に起因しているから、この制度改革に当たることこそが戦後の日本国民の根幹的な改善に向けての課題ではないのか?
分かりやすい例を挙げよう!プロ野球の大投手は、一般的に大打者よりも薄命、短命の傾向がある。短くとも太ければ、それはそれでいいのではないか?5年も10年も立て続けに毎年10勝以上も挙げる者のことである。これら大投手に、男子の息子が出来ても、8-90年に上る我が国のプロ野球史上で親子揃ってこんな意味に於ける大投手が出現した事例は無い。今後も99,99パーセントの確率で不可能であろう。政治家諸先生が、盛んに口にされる英でも独でもフランスでもお隣の中国でも、上記の親子二代にわたる大投手に成る程、政界のトップの世界に二世議員が生まれることは、難しいことではないかと私は思う。
8、
又私の長年のライフワークに戻ってしまい、お許し願いたい。
そこで結論を記したい。
内政では時には強硬政策は、多少暴君でやんちゃでも国民を鼓舞するので、時には許される。
小泉さんの郵政民営化に於ける暴君的手法も又良しである。
しかし、列強諸国相手の外交面では、「相手を見て紐を解け」の諺のように、この強硬外交は、国民がしっぺ返しをくらい、危険に晒されるので、極力避けていただきたい。さもないと、第二、第三の漁船員の死亡事件は後を絶たないであろうことは明白である。ロシアの国境警備隊員でも、政治家諸氏がよく親友として口に上げるアメリカの政府関係者でも、肝要な時局に際しては、日本の政治家等眼中になく、全く軽視している政情の流れをはっきりと再確認すべきである。
自分は、クレーンのオペの様に高く安全な所にいるので、身の安全は保証されるが下にいる国民は堪ったものではない。例えば、外遊するに当たっても、政府高官は、随員が数十名つくので身の安全は保障されるが、国民は外国旅行でも外国駐在でも単身である。北海道の漁船は、生計の為に大海原で武器なしで操業しなければならない。常に下の国民の立場に立って、紋切り型の強硬外交は断じて謹んで、「安全第一」の外交姿勢に徹していただきたい。宜しくお願いいたしておきたい。
誤ったことを犯して、何の弁償なしで退陣するだけで許されるならば、保身の為に少しでも多くの誤ったことをやり得となるとは違うのか?どうなのか?
9、
先程、JOCは2016年のオリンピック候補地を東京に決めたが、タレント上がりの首長が音頭をとるこの企画は水泡に帰すことぐらいは明白だ。負けいくさに決まっているので、要は大阪の轍を踏まないことに終始すべきではないのか?当時の大阪のお偉方は政財界共こぞって、生計を立てるのに精一杯で、困憊疲労しきった正直な市民を横目で見てみぬふりをして、非情にも当時の遠山文相の協賛も得て、IOCの舞台に臨んだが案の定問題にされずに、大阪は118票中たった6票を獲得しただけだった。俺は当時ホームペイジで堂々と反対意見を公開し続けて、結果を見て、心から嘲り笑ってやった。首謀者の磯村市長は即時退陣したが之当たり前で、問題は9年半でこの打算なき招致の為に、48億円の大金がどぶの中に捨てられたことだ。誤ったことを犯して、何の弁償なしで退陣するだけで許されるならば、保身の為に少しでも多くの誤ったことをやり得となるとは違うのか?どうなのか?
東京に住む賢い生粋の江戸っ子は、こんな大阪の無様さに、轍を踏まない様に一途に勤めることである。
脇目を観ずに、敗戦で失ったものの、償いうる唯一の物、詰まり戦前の如きの教育制度復活へコツコツと挑戦して欲しいと心底から叫び続けて止まない私である。
同じ愛知県でも、同じ世代にあっても、人それぞれで能力は違うし、生き様は違って当然。だがお互いに常にもっと正反対な生き方をする方々へ、理解しあおうとする心構を強く持つことだけは、不可欠ではないかと何時も思う。そう努力すれば、下品の塊が歩いている様な風潮、姿は逐次昭和病院からなくなる筈である。院長以下幹部経営者は、どう思うのか?
A,
処で私は大阪時代の晩年にタクシーに乗務していたので、多くの色々な方々と話しをした経験を持つ。高層マンションに住む水商売のお姉さん達も乗せた。言わば土地なし、鳥のような狭い空間を住まいに持つ女性達である。如何に厚化粧をして高価な衣装で身を飾っても、さしたる品位がない。下品の塊が座っているようであった。それに比して、母国に帰ればいずれも余るほどの広い土地がある、アメリカ人とかオーストラリヤ人等の女性達も見てきたし、乗せたことがあった。化粧なしで、普段着の身だしなみであったが、気品が滲み出ていた。
当時から何時も常に、大都会の流れにうずもれて、マンション暮らしをするよりも、地方都市や田舎で、土地付きの家で人間らしい生活を送る方が、遥かに人生の勝者であろうと私は思い続けてきた。今でもそう確信し続けている。
話は飛ぶが、自他とも認める優良老舗の企業である、近鉄が先年某プロ野球チームを手放した。古田選手会長は、球団数の削減に反対の音頭をとって質より量の選択に奔走した。それがどうだ。次々と球団買収に名乗り出たIT企業は、土地なし、家なしの六本木ヒル族で、多くの国民に大迷惑、大損害をかけっ放しの詐欺会社ばかりであった。
いにしえの昔から、中国には、道徳観の一つとして、中庸という理念がある。分かりやすい例を挙げれば、道路で前途ある若者がみすぼらしい姿で物乞いをしていた。弱者への慈悲心は言うまでも無く美徳である。そこで、この姿を見た一介の極平凡な安サラリーマンである通行人が、財布に1万円しかないのに、9千円も恵んでやった。之は決して「中庸」ではない。1-2千円程度を恵んでやるのが、之「中庸」である。
確かに、体を動かすスポーツは国民の健康によい。青少年の教育過程でも推奨されるべきである。官民一体となって迎合すべき対象である。
それだからといって、歴史は浅いし、資本金の蓄えも少なくさしたる不動産もなく、取りあえずは、地道な自らの業績によって、逐次遅くとも着実に自らの企業を成長させるべきの資金を増やさなければならないような、駆け出し一企業が、訳の分からないむやみやたらな「分割」の連続で、即ち詐欺行為で広く国民各層から不正にかき集める手法で、資金を調達したような脆弱な立場でありながら、プロ野球球団の経営に参画しようとする方向性そのものが、「中庸」ではない。多くの投資家の意に反する裏切り行為であって、全国の投資家は怒り心頭していることを銘記すべきである。己の企業が自らの経営過程で、財政的に余裕綽々であれば、このプロ野球球団の経営参画も時には「中庸」に該当する。マネイワンダリングとしか思えないがどうなのか?不正所得の外国銀行への預金ではないのか?今起訴中の、ホリエモンや村上どころではない。地獄に一度は落ちるがいい!違うのか?
私は先日、地元紙の中日新聞を読んでいた。無いものずくしでお客さん相手でなく、投資家から集金を試みた、プロ野球へ触手している某IT詐欺会社と180度正反対のポリシーである。東建コーポという愛知県三河地方発祥の住宅会社の社長さんが、一面をまるごと占めて題材的に会談内容が掲載されていた。無借金会社として有名な企業で、「企業の発展は、皆さんの事業に対する評価によってなされるものであり、資金調達という名の下で、上場の立場を利用して見知らぬ皆さんから資金を集めるなんて思いもしなかった。事業が評価されて拡大していけば、お客さんから頂いたお金で潤い、自然と資金も潤沢となる。後指を指される経営で急成長を遂げても、悪評判が立たば信用を落とし、経営者が窮地に陥るだけだ」というものだ。生粋の愛知県人、三河人そのものの真正なる経営理念である。私は感動した。
ちなみに、この会社の株価は、私がいかさまIT企業の株を買った2003年8月には1,300円であったが、一途にうなぎ上りに上がって、今では約6倍の8000円となっている。
話は戻るが、問題とすべきは、つい最近のIT企業群の上記の「非中庸、過度」である。
どれだけ多くの国民が人生をすんでに台無しにさせれられそうになったことか?何が「六本木ヒル族」だ!何が「六本木ヒル貴族」だ!チャンチャンラおかしい。
入居者は、詐欺曲がりの商法で信用等到底出来ない者が圧倒的に多い。そこで働くOL達も又どんな素晴らしい制服を身に着けていようが、下品の塊が歩いているよう様な下種な女に決まっている。この目で見て確かめるまでもない。
某IT企業の女子社員は、会社の業績を伸ばすには「知名度を上げること」だとする社長の方針に賛同していた。実際この企業は、パリーグの某球団のホームグランドの命名権を買い取り、知名度をどの優良企業よりも全国的に上げることには大成功したが、業績はサッパリ、株価はサッパリ、おまけに株主への利益還元100パーセントを最優先の社訓としながら、実際の配当金の少なさは天下一品のお粗末さである。
これ以上少ない配当金はない。私が持つ他の優良企業の株式配当金の10分の1だ。
日本人は、決して馬鹿ではない。知名度だけで企業、個人を評価するほどの浅はかでは決して無い。
知名度ならば、誰でもなれる性道徳観念等微塵も無いAV女優は、申し分ないが、それでは社会的評価が高いのか?
中には第二の人生、職業転換で成功される女優さんはいるので、一概には断言できないが、決して知名度に比例した社会的評価を得てないのではないか!
私は、ロシアのサンクトペテルブルグにいたが、緑の中に住家「住宅用コンプレックス」が、ある感じで、ビルの高さは一様に9階建てで、これ以上高い建物は何処にもなかった。タクシーの運転手さんも新聞売りの若い女性も、見るからに品位が滲み出ている。品位の塊であった。
もし、欧米先進諸国の選手、関係者が、オリンピックで東京を見れば感心どころか、無秩序な高層ビルの乱立、地下には地下鉄が縦横無尽に走り、地上には高架線で高速道路があちこちに貫通する姿を見て、土地を持たない民族の悲劇に、むしろ哀れみを抱くに違いない。何処を探しても豊かな自然がない。この国は、自然環境の保護という言葉を知っているのかと疑問を持つに違いない。これ以上に東京を目先だけの便利性を追求して再開発しても、自然が壊れていくだけで、この姿に世界の誰が感動することか?恥を晒すだけではないのか?
中東では、イスラエルとパレスチナが、隣国で容姿が同じ民族でありながら、お互いに我が住処、永住の地を求めて今尚血なまぐさい抗争は続いている。如何に持分とされる領土の面積、広さは、お互いに民族の宝であるのかを垣間見ることが出来る。
私はよく近くの総合病院である昭和病院へ行く。足腰がすっかりと弱って、歩くのにも不都合になってきたからである。クレーンの仕事がなくて、万やむを得ずこの地を後にした時にも、既に腎炎の病にかかっていて健康体ではなかったが、自身が杖がなくては歩けない体になるとは、夢にもつい最近まで、大阪時代の晩年になっても想像だにしていなかった。
親からもらった知力を自分だけの幸せの為に使う者、国家の為に使う者、世界の為に使う者、悪者退治に使う者、自分の趣味に使う者などなど男の生き様は千差万別である。
よく帰省して、東海市とか大阪へ行く時に昭和病院の前を通っても、看護婦さんとか医師とは我が身にはまだまだ無縁の方と思い無関心であった。しかし。現実にこの様な体になって初めて、病院、医院、先生、看護婦さんにお世話にならざるを得ない身となって、病院関係者に感謝するようになり、特に看護婦さんのなんでもない簡単な手助けを、万感の思いで感謝するようになって来た。
私の場合、点滴をする場合血管が出にくいので、針を血管に打ち込むことができない看護婦さんに出会うと、何度も痛い目に遭う。しかし、上手な看護婦さんは手で摩り、触覚で血管の位置を確かめて、いとも簡単に点滴を済ます。人間は同じことを何度も繰り返せば、上達する傾向がある。しかし、こんな係りに日頃席を置きながら、しかも同じ注射針を使ってもどうしてある方は、いとも簡単にするが、ある方は、どうして失敗ばかりするのかと不思議でならないときがしばしばある。
B、
ここで、極めて大切なヒントを提示しよう。
目で見えないので手で血管を確認して、簡単に点滴をこなす看護婦さんは、統計的にこの江南市生まれの江南市育ちの者に多いという傾向である。
看護婦さんという資格は、全国共通で全国就労可能なのか、それに誰でも取得できる資格である代わりに、色々な方が混在しているという現状である。各自の資質間に於いて、上下の差が大きい。
昭和病院へ行くと、中には大阪の中でも都心部のマンションを住処にしている、前述の水商売の女性や「六本木ヒル族」のOLの様に、下品の塊が歩いている様な看護婦さんも中にはおられる。致し方ないことではあるが、この現実を院長以下の病院経営者、幹部陣は何と心得ているのだろうか?どう対処するつもりなのか?
根気よく通う罹患する者の身になって少しは考えて欲しいものだ。
C,
話は変わるが、まんざら無関係な流れの展開ではない。
ここ愛知県には、三河地方に公立の岡崎高校という学校がある。極悪な教育制度の真只中の公立校でありながら、毎年東大合格者数は全国公立校中、一位である。戦前は愛知二中であった。ちなみに公立校の双璧を成す一宮高校は六中であった。岡崎は、家康誕生の地であるほか、吉田本丸城で知られる豊橋も近くにあり、由緒ある史跡豊かな古い歴史感の香り漂う街であり、昨今も世界のトヨタの本拠地の傘下に位置している。
現代ばかりか歴史的にも、一宮市の上を行く地の利を得て、恵まれた地勢に位置している。
この高校の一女子高生が、「うちの学校では、主体ある者の集まりで、自分で学習計画を立てて、自ら進んで学習して行こうとする意欲を持つ者ばかりであり、主体性に欠ける者は来ないほうが良い」とネットで述べていた。
きっと、広範囲に三河地方の多くの中学校から、秀英をかき集めて成り立っている学校であろう。
きっと彼等は三河地方で、何世代にも亘り歴史を織り成してきた、土着、生粋の三河人が生んできた永い歴史の申し子達ばかりであろう。
この尾張地方の一宮高校とその点でオーバーラップする。極悪な教育制度下にあっても、そこに学ぶ生徒達は国公立大への進学を無言の内に強要、義務付けられている。殆ど全員は、東大、名大等の国公立大へ進学する。
しかし、思うにそれら高校に学ぶ全ての生徒達が全部が全部、主体性に満ちて、学習に多大なエネルギーを費やしている者ばかりかなのか?と言えば、極々僅かではあるが、例外中の例外はいるように思うが如何なものか?
具体的に言えば、始めから省エネで私学への進学を我が道とする者である。教育界へ口出しする柄でもないのに、浅学未熟な烏合の衆をかき集めて訳けの分からない教育論を頻繁に演説するばかりか、厚顔にも東京へ出かけて、中央教育審議会に臨席して、この上ない無抵抗、無垢な子供の教育にぬけぬけと意見を具申する戦後の政治家達、自称地方の名士達である。大阪弁で言えば、「いい格好シー」である。
後続の後進の教育改革論者に少しでもいい位置で、バトンを手渡すのが彼等の任務なのに、すっかりと忘れて専ら私腹を増やすこと、保身しか眼中にない、特に社会的に最高に弱い立場にある子供相手の教育界へ入り込んでくる、貧者番付一位の大分、佐賀、岩手の政治家達と同じ視点に立つ不逞のやからである。
現犬山市長石田芳弘や元日本国総理大臣海部俊樹や現民主党党首小澤一郎等がこの上ない好例である。
ちなみに小澤氏は、岩手県を地盤にする政治家で常に改革を叫んでいるが、彼の潜在意識には常に生活の糧をなす東京に根を下ろす志向、東京への拘泥心が厳存している。改革どころか、大衆迎合を身上としており、超保守主義的国粋主義者である。今話題沸騰の「靖国」に対しても、「そもそも東京裁判は、戦勝国だけによって裁かれた判決ゆえに、A級であろうがB級であろうがC級であろうが戦犯者への判決そのものは無効である」という持論を持つ論外の暴論者である。之が国連中心外交主義者と常日頃自負している者の哀れな政治姿勢、女のような二股膏薬の政治姿勢である。何処の世界に敗者が勝者の世界を支配出来たという事例があろうか?自民党の超保守派の範疇に入る危険思想である。その他にも沢山あるが、ここでは横道で且つ長文となるので、割愛させていただく。
尚、首相官邸に新たに常設される運びとなった、「小中一貫校特区室」の推進、展開には、義務教育の最終年限期に、イギリスの様に全国共通の学力テストを施行して、結果限られた地域的にも見ても余りにも成績が芳しくない中学校には、さしあたり規定の援助金をサスペンドする等の制裁措置を一時的に採ったらどうなのか?そうすれば、学校上げての学力向上の為に、この「9年制の小中一貫特区」へ申請する自治体、市町村が全国津々浦々で急増してくる弾みになることは、明らかである。
併せて、この制度を施行、実効するプロセスに於いては、何度も力説止まないように、決して新たな学校新設という姑息な卑怯な、わき道、手段ではなくて、既存の施設である敷地校舎を極力再利用して行こうとする正々堂々たる大道、手段を原則的に終始、歩み採るべきを今回も強調しておきたい。
D,
話題を戻そう!我が説得すべき相手はこの限られた狭い生まれ故郷にあるのだから、、、、、。
主体性を押さえ、自己を殺して全ては全体への調和に傾ける、団体生活を身上とする昭和病院の看護婦さん達とは、上記の一女子高生の渡世は180度に違う。団体の中でしか生きていけない、昭和病院や江南市役所の就業者とは余りにも大きく違う。この女子高生だって、いつかは体が不自由となれば、こんな生き様からサヨウナラを告げなければならなくなる。
私は思う。同じ愛知県でも、同じ世代にあっても、人それぞれで能力は違うし、生き様は違って当然。だがお互いに常にもっと正反対な生き方をする方々へ、理解しあおうとする心構を強く持つことだけは、不可欠ではないかと何時も思う。
確かに、看護師という資格そのものが誰でも取得できる資格なので、上と下との差が大きくてもやむをえない現状である。とはいうものの、そう心がければ、下品の塊が歩いているような姿、風潮は、逐次昭和病院から消えていく事であろう。
足が不自由になってしまった私は、何度も言うが、かつては関心ゼロであった医療関係者にいやおうでもお世話にならなければならない。特に看護婦さんは、我々障害者の手足、体の一部となってくる。お世話にならなければならない、看護婦さんである。心の方も気構えだけは潜在的でよい、成長して欲しいものである。
米、英等の欧州諸国は日本にもっともっと多くの上納金、分担金を課すべきではなかろうか?
大きな失敗を許されない人種。詰まり、知力はあるが、足腰が弱く生命力が弱い、コーカソイドの宿命、特質、運命である
10,
従って、大体俺に言わせれば、アメリカに次いで世界第二位の国連の分担金19パーセントを負う我が国は、分担金が多すぎるどころかこの様な前述の一連の後進性を見るにつけ、少なすぎる感がしてならない。「常任理事国入り」とか「国連改革案」等もってのほかの要求である。老人の寝言もいい加減にして欲しい所である。
何の発言権を持たない国日本と言えども、世界のヒノキ舞台で列強の首脳達と握手するだけでも、もったいない。アメリカ等は日本にもっともっと多くの上納金を課すべきではなかろうか?
日米開戦に当たっても、海兵卒の秀才であった野村吉三郎大使「在米日本大使館付武官」は、この途は打算なき戦であり避けるべきであると主張し続けて、ハル長官に何度も和平への糸口を求めて接見している。しかし、当時のアメリカ首脳は、日本の一連の無謀さにこれ以上耐え切れない極限に達しており、既に完全に日本を見くびっていた。見捨てきっていた。言い換えれば、アメリカへ宣戦せずにはいられないと言う不利な立場、環境へと我が国を逐次追いやっていったのであった。「経済制裁の枠組み拡大」や「屈辱外交への隷属」がそれである。
これこそが失敗を許されない、事に当たる際の、コーカソイド特有の緻密で計算ずくめで正確な奥行きの深い読み、思慮深さであり、思考方法である。
誠実で賢い同じ国土に住む同志の邦民を徹底的に愚弄し馬鹿にし続ける、戦後雨上がりの竹の子の様にこぞって新生して来た政治家層、社会指導層の姿勢に対しては、米、英等の欧米先進諸国には国連で分担金だけ多く払わせて発言権を持たせないようとする対抗手段をとる、この様な潜在的な意図を読み取ることが出来る。明らかに見え隠れしてくる。つまり、何時でも否だったら国連を脱退しても構わないとする準備万端な緻密な根回し、段取りである。大きな失敗を許されない人種。詰まり知能高いが、足腰が弱いコーカソイドの特徴、宿命、本能である。
この俺の予感が外れていることを、望むや切である。
11、
彼の大戦で我が国は壊滅的な打撃を蒙ったが、今日に見るが如くに復興を遂げた。之は足腰が強く、雑草のように生命力が強い国民性の賜物である。恐らくドイツ国民ならば、そのまま奈落の底へ落ち込んだままであったろう。這い上がれなかったであろう。その分彼等には歴史の流れの中で、大きな誤りは絶対に許されない宿命を持ち、現に決して冒してこなかった。
しかし、如何に生命力が強くて、足腰が強いのが我が国民の特徴と言えども、打算なき戦火へのアクセスという轍を再び踏めば、今度はもっともっと立ち上がるに永い時間、年月がかかることを、時には回復不可能な奈落の底に陥るであろうことを、特に国政を預かる為政者に警鐘を鳴らしたい。
本文遂行中に、多分に我がライフワークである教育制度改革という横道へそれてしまったことを、お許し願いたい。しかし、私の本心は政治家でもないのに、又未だこの町で宿願の小中一貫教育が施行される暁を見ないのに、又未だ地元の保身に拘泥している傾向の小役人を説き伏せ牛耳っていないのに、多岐多様な問題に考察してきたことを、多くの日本国中のこの93制への熱心な賛同者に深く深くお詫びいたしたい気持ちで一杯であることを、披露して挌筆と致したい。
許可なくして、転載、引用等の一切の転載を禁ず
小澤成次
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