改革を成功へ導く大原則は、ゴルバチョフ氏が何度も力説されているように、犠牲を最少限に抑えて、最大の利益を上げることです
こんにちは、我が最愛の放送局CNN及び我が師と仰ぐBBCの皆さん!お元気ですか?
今日は日比野外科へ行く予定でしたが、寝坊をしてしまい郵便局と焼肉屋さんへ行ってきました。しんどい時には、路上の電柱やフェンスや壁にもたれて、小休止して再度ウォーキングに挑みます。
さて、改革への成功の原則は、ゴルバチョフ氏が何度も力説しているように、最少の犠牲で最大の効能を上げることです。一匹の蛇を捕らえるのに、竹やぶを焼く様な手法は愚の骨頂、最低です
剣道の達人は、太くて硬い孟宗竹をいとも軽々と斜めに切り落とします。之は、刀を振り落とし物に当たる瞬間に、剣の刃先に全力が集中されているからです。一振りの軌道が障害物に当たっても決して波打っていません。
好投手は、投げる瞬間に、ボールを手放す瞬間に、小さなボールに、自分の全体重を乗せて、速球を軽々と投げます。腕相撲が強くても、腕力が強くても余り頼りになりません。
オマリーやペダジーニや長島等の好打者は、力を抜いて構えているがボールに当たる瞬間にバットに全力をかけます。
小中一貫校はどう定義するのか?
私は、1-9年生までの全生徒が毎日同じ共通した門を出入りして、登校下校すること、同じ敷地内に校舎、共通の運動場があること、学校名は「OO市立第OO学校」とすること、であると定義します。
中高一貫校は我が国では不可能な制度であると私は思います。その理由は、義務教育が現行では9年間であること、中学校と高校とでは運営団体が市と県で異なることが主たる理由です。
「戦場の兵士には敵国兵士よりも優秀な武器を携帯させること」「国際舞台で活躍を余儀なくさせられる運命にある、教育現場のしかも最前線にある子供達には、先進諸国に近い教育制度で就学させること」が何よりの最大のプレゼントとなるのです。之が私の基本理念です。
東京での生活に、愛知や大阪県人は簡単に決別して帰省するが、貧乏県の筆頭の大分、佐賀、岩手、土佐県人はしなう竹のように己を殺して体勢に身を委ねので、残念だが天下を執る事例が多い
かつて我が国の教育に多くの人材が参画して、日本の現状の教育体制を形成するに至った次第です。この大切な改革を明治時代の教育改革の様に「学問の私物化」「私人の売名、営利主義」の手に渡してはなりません。
太古の昔から、「衣食足りて礼節を知る」という諺があります。「主人公は、学校で日々学んでいる生徒達である」と言う原点を終始守り抜く為の人材の確保が、この改革を成功裏に導く過程には必須であって、さにあらずの人材が介入してくると、前述の「私人の売名、営利主義」が惹起される憂慮すべき事態が発生するという憂き目にあいます。
どんな名案、名改革にも必ず之に抗する勢力が現われるのが、この世の常です。従って、比較的財政的に豊かな地方公共団体が常に牽引していかなければなりません。詳細すれば、東京、神奈川、愛知、大阪、京都の教育委員会がイニシアチィブを終始握り、この「主人公は学童、生徒達各人」の大原則を徹頭徹尾遵守する義務があります。何時の時代にも、捻くれ者、曲者は必ず現れるからです。さもないと、明治時代の教育改革の轍を踏むことになります。多くの余分な犠牲者を生み尚且つ改革に値しない、形式、名だけのエセ改革に帰する憂き目を見ます。
この文部科学省の改革には、我が全勢力を注ぐことに決してやぶさかではありません。共に一致協力して融和を身上として邁進してまいりましょう。
許可なくして転載、引用等の一切の借用を禁ず
2006、6,24小澤成次
こんにちは、我が最愛の放送局CNN及び我が師と仰ぐBBCの皆さん!お元気ですか?
今日は日比野外科へ行く予定でしたが、寝坊をしてしまい郵便局と焼肉屋さんへ行ってきました。しんどい時には、路上の電柱やフェンスや壁にもたれて、小休止して再度ウォーキングに挑みます。
さて、改革への成功の原則は、ゴルバチョフ氏が何度も力説しているように、最少の犠牲で最大の効能を上げることです。一匹の蛇を捕らえるのに、竹やぶを焼く様な手法は愚の骨頂、最低です
剣道の達人は、太くて硬い孟宗竹をいとも軽々と斜めに切り落とします。之は、刀を振り落とし物に当たる瞬間に、剣の刃先に全力が集中されているからです。一振りの軌道が障害物に当たっても決して波打っていません。
好投手は、投げる瞬間に、ボールを手放す瞬間に、小さなボールに、自分の全体重を乗せて、速球を軽々と投げます。腕相撲が強くても、腕力が強くても余り頼りになりません。
オマリーやペダジーニや長島等の好打者は、力を抜いて構えているがボールに当たる瞬間にバットに全力をかけます。
小中一貫校はどう定義するのか?
私は、1-9年生までの全生徒が毎日同じ共通した門を出入りして、登校下校すること、同じ敷地内に校舎、共通の運動場があること、学校名は「OO市立第OO学校」とすること、であると定義します。
中高一貫校は我が国では不可能な制度であると私は思います。その理由は、義務教育が現行では9年間であること、中学校と高校とでは運営団体が市と県で異なることが主たる理由です。
「戦場の兵士には敵国兵士よりも優秀な武器を携帯させること」「国際舞台で活躍を余儀なくさせられる運命にある、教育現場のしかも最前線にある子供達には、先進諸国に近い教育制度で就学させること」が何よりの最大のプレゼントとなるのです。之が私の基本理念です。
東京での生活に、愛知や大阪県人は簡単に決別して帰省するが、貧乏県の筆頭の大分、佐賀、岩手、土佐県人はしなう竹のように己を殺して体勢に身を委ねので、残念だが天下を執る事例が多い
かつて我が国の教育に多くの人材が参画して、日本の現状の教育体制を形成するに至った次第です。この大切な改革を明治時代の教育改革の様に「学問の私物化」「私人の売名、営利主義」の手に渡してはなりません。
太古の昔から、「衣食足りて礼節を知る」という諺があります。「主人公は、学校で日々学んでいる生徒達である」と言う原点を終始守り抜く為の人材の確保が、この改革を成功裏に導く過程には必須であって、さにあらずの人材が介入してくると、前述の「私人の売名、営利主義」が惹起される憂慮すべき事態が発生するという憂き目にあいます。
どんな名案、名改革にも必ず之に抗する勢力が現われるのが、この世の常です。従って、比較的財政的に豊かな地方公共団体が常に牽引していかなければなりません。詳細すれば、東京、神奈川、愛知、大阪、京都の教育委員会がイニシアチィブを終始握り、この「主人公は学童、生徒達各人」の大原則を徹頭徹尾遵守する義務があります。何時の時代にも、捻くれ者、曲者は必ず現れるからです。さもないと、明治時代の教育改革の轍を踏むことになります。多くの余分な犠牲者を生み尚且つ改革に値しない、形式、名だけのエセ改革に帰する憂き目を見ます。
この文部科学省の改革には、我が全勢力を注ぐことに決してやぶさかではありません。共に一致協力して融和を身上として邁進してまいりましょう。
許可なくして転載、引用等の一切の借用を禁ず
2006、6,24小澤成次
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